第36章 私たちの牙 前編
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「───────ん? 待って下さい。 この匂い」
猛然とスピードを上げた伯斗さんに慌ててしがみつき、もう少しで里に着く。 そんな距離で彼が立ち止まった。
──────グルルルル……
背の高い、草場の間ををぬうように姿をあらわした狼に気付いたからだったのだろう。
伯斗さんよりも小柄なそれは、確かに彼だった。
「二ノ宮くん。 良かった……」
さすがに追い付けなかった様子の浩二が、急いで後ろから駆けてくる。
「ちょ、いきなり早……はあっ、は。 これ、二ノ宮、か?」
「しかし、これではまるで」
伯斗さんから降りて前に進んだ私の背後で、二人が戸惑ったような声を出したのも無理はない。
彼の様子は、まるであの晩にみた狼たちとそっくりだったからだ。
眉間を窪ませ、警戒のために前傾の姿勢を取る彼の姿に、いつもの彼の、人懐っこい親しみの表情はない。
私はやや緊張しつつも、彼を刺激しないようしゃがんで距離を取った。
「ブレスレット…というか、数珠です」
それが彼の前脚にしっかりと巻かれている。
「すっかり忘れてましたけど。 供牙様が卓さんの体を借りていたときに身に付けていた、強力な霊力を持つ石が連なった数珠。 卓さんの力が増していたのはこれのせいです」
そうなるべく静かに話しながら、少しだけ手のひらを彼に向けてみた。
元々の石に、朱璃様の祈りや供牙様の霊力の残り、この地の思いが込められた。
私の話に……声に耳を時折動かしながら、二ノ宮くんがその場にじっと佇んでいる。
「けれどその力は一時的なもの。 卓さんは定期的に里の地に入り、石に霊力を補給する必要があった。 それに伯斗さんの言うとおり、若い狼の仲間を増やす目的………そんなものもあったのかも知れません」