第36章 私たちの牙 前編
二ノ宮くんがゆっくりとこちらに近付いてきて、背後で動こうとした浩二を、伯斗さんが制した気配がした。
伯斗さんは、彼の目にもう敵意がないのが分かったのだと思う。
やがて彼がスンスン、と私の手のひらに鼻を近付け、ぺろりとそれを舐めてきた。
「ここの里の狼と違い、二ノ宮くんや卓さんには元々、殆ど霊力が備わって無いのでしょう。 少なくとも二ノ宮くんには普段、相手の霊力を推し量る力はありません」
そっと脚に巻いてる数珠に手をかけると、一瞬体を強ばらせたが、大人しくそれを外すのを許してくれて、その後地面に崩れるようにお腹をつける。
そんな二ノ宮くんの様子を静かに見守っていた伯斗さんが口を開いた。
「だからあの位の石では、何とも無かったのですね。 あの叔父が最初から力があったのは、単に彼自身の力……としたら、それは相当なものです。 それで、なぜそれを今二ノ宮甥が?」
「卓さんから、これを奪ってきたのだと思います」
まだ完全に癒えてなかった傷が開いているのが、広く血が滲んだ包帯から見て取れた。
きっと必死で逃げてきたに違いない。
「二ノ宮くん。 あの時、このことを私に教えてくれようとしたの?」
彼の頭を撫でながら尋ねた。
力無く地べたに伏せたままの彼は、まだ言葉を発することが出来ないようだった。
少しなら薬になる石も、これ位のものとなると、彼にとっては負荷が高過ぎるのだろう。
ここの人狼ほど霊力の無い、二ノ宮くんや私だから気付けたこと。
二ノ宮くんはこれまでもなんとなくは、卓さんの変化の理由を感じていたのかもしれない。
言えなかったのは、自分が里のみんなと異なることを知られたくなかったから……?
話は分かってきたけどよ。 と、そう切り出した浩二がバリバリと頭を掻いている。
「ええと。 んな大仰なモン盗んで逃げてきた、っつうことは。 もしかして、ヤバいんじゃね?」
「これは元々里のものですから盗んだ、という言い草は厳密に違いますが……後半は同意ですな」
縦に首を振る伯斗さんが、茜色に陽の傾きかけた空を見上げた。
「はい。 だから急いで、二ノ宮くんを連れて里に行かないと……」
「────────保。 やはりここに呼ばれたか」
その太い低く響く声に、ピクリ、二ノ宮くんの体が揺れた。