第16章 月色の獣 - 在る理由
今まで目を背けていた妻の亡骸に寄り跪いた供牙は、加世の半身を起こして堅く胸に抱いた。
元の主人の血は加世の体から一等強く匂った。
ポツリと供牙が呟いた。
「加世………お前が…?」
詳しい状況は分からなかった。
親子で激しい争いがあったのは確からしかった。
「加世。 加世……私の、私だけが……お前を」
これは何よりも愛し慈しんだ終生の我が伴侶だ。
だが触れる為の頬も、顔を埋める為の髪も無い。
抱いた時に背中や肩に幾つもの切り傷が認められた。
何人もの敵に背後からやられたのだろう。
供牙の喉から絞り出され漏れてくるのは全身が焼ける様な痛み。
「前が…なぜ。 なぜ、私ではない。 何を……お前の、最期の顔さえ………ぐっ……う、ぐうッあ…ああぁああっ」
自分の半身にも近かったこの命。
なぜ、ただ優しい娘だった加世に何故これだけの事が出来たのだ。
生きて愛し合う事も許されぬ程の事を加世はしたのか。
目を見開き自問しては絶望を繰り返す。
「……あっぁぁぁッ…ああああああああぁぁぁ!!!!」
供牙の、まるで心が抉られるかの様な悲痛な叫びは陽が落ちるまで止む事は無かった。
「────お子が心配です……供牙様」
勇気ある同胞の声にようやく虚ろな顔を上げた供牙は、変わり果てた加世を抱きあげ覚束無い足取りで村へと戻り始めた。
人の匂いはもう無い。
去り際にふと他の狼が振り返り、首を傾げて呟いた。
「おい。 あの突っ伏してる男、腕を上げて俺たちの村と正反対の方向を指指してるけど、何だろうな……」