第22章 落花流水 前
名家の子女だからこそ理解出来る、小袖や帯、足袋や草履の価値に尻込み、敗北感を味わうのも当然と言えよう。光秀が凪に与えているのは、いずれも安土城の姫と呼ばれるに相応しい一級品と呼ばれる類のものなのだから。
せめて一矢報いたいと考えたお静が、日が浅いという点を強調して凪へ振った。彼女が挨拶以来何も言わず、光秀の腕の中に大人しく抱きしめられているという事が、妙に女の自尊心を刺激してしまったからだ。突如話を振られた凪は、正直な話、あまり関わり合いになりたくないなと考えつつも、さすがに名家の子女だというお静に無視を決め込む訳にもいかず、そっと苦笑する。
「まあ…浅いと言えば浅いかもしれないです」
「……こら、ただの恋仲ではなく、俺の大切な連れ合いだろう。日の浅さなど関係ない」
「み、光秀さん…っ!」
確かに彼女の指摘は間違いではない。下手に相手を刺激しても時間の無駄だろうと考えた凪が、微妙に煮え切らない返答をすれば、こちらへ意識を戻した光秀が片手で頬を撫でつつ、顔を上げた凪の額と己の額をこつりと軽く合わせて間近で眸を覗き込んだ。互いの吐息が交わってしまう程に近い距離感で見つめられてしまうと、さすがに凪も平静ではいられない。かっ、と頬を真っ赤に染め、照れ隠しの如く上擦った声を発した彼女が困ったように眉尻を下げる。
柔らかそうな頬が染まる様は初心で愛らしい。一度視線を下げ、おずおずと再び光秀が持つ金色の目を見れば、演技だと分かっていても照れてしまうというものだ。
「…っ、仲が宜しくていらっしゃいますのね」
「ええ。どちらかと言えば、俺がすっかりこの娘に骨抜きにされているもので」
(仮にも外で何言ってんのこの人…!?)
お静の声が苦々しくなるのに対し、光秀はあくまでもさらりと流暢に言ってのける。視線をそっと女へ流し、緩やかに笑んだ男の表情を計らずしも間近で見る事となった凪は、公衆の面前で恥ずかしげもなく放たれた言葉に赤面しか出来なくなった。ぎょっと内心で目を見開くも、そのように言われて嬉しくない訳がない。あの、何を考えているのか計り知れない明智光秀という男が、自分に骨抜きにされていると自ら宣言しているのだから、嬉しいに決まっている。