第22章 落花流水 前
「……初めまして、静(しず)と申します。お見知り置きください」
真っ赤な紅を引いた唇が若干引きつりながら弧を描く。美人が引きつった笑いを浮かべると、それなりの圧を感じるものなのだな、と他人事のように考える一方で光秀に向けていた媚びた声とは異なる、敵意を覗かせた硬い声色を耳にして苦々しい心地になった。
お静は凪の姿を頭の天辺から足の爪先までしっかり吟味し、内心で歯噛みする。名茶器を扱う代々続く老舗の商家───由屋(ゆかりや)と言えば、安土城下でその名を知らぬ者など居ないと言わしめる程の名家だ。武家ではないが、茶の湯の流行りと共に一気にその価値を上げた茶器は、裕福な家柄の者達や武士達の間でも需要や人気が高い。そんな商品を扱っている家という事もあり、お静はこれまで何ひとつ不自由なく暮らして来たし、己の価値が大名家の姫君にも劣らないと思うようなものだと自負して来た。が、凪の姿を見て、彼女は生まれてこの方、初めて痛烈な敗北感を今まさに味わっている。
(草履ひとつ、足袋ひとつ取ってもかなりの上物。それにあの小袖…そこ等の娘が袖を通せるような代物じゃないわ。この小娘、一体何者!?)
「…ず、随分と良家のご令嬢みたいですけれど、一体どちらの御家のお嬢様ですの?」
「彼女はさる名家のご令嬢です。詳しくは明かせないが、縁あってこの度、連れ合いとなりました」
「そうですか、ではまだ恋仲となられて日が浅いのですね」
美しい顔を引きつらせ、何とか平静を保ったお静が光秀へ視線を向けた。責められる謂れなど光秀には微塵もないが、女が何処か拗ねたような眼差しを向けて問いかければ、彼はふわりと長い睫毛を伏せ、口元に柔らかな笑みを称えて告げる。ごくありふれた恋仲同士の想い合う様子を見て、周りはその幸福な気配につい頬を緩めるが、生憎と凪の顔は幾分強張っていた。
事情を微塵も知らないお静は当然として、この時代の物の価値を正確に把握していない凪は気付いていないが、凪に用意された着物一式はすべて光秀による見立てのものである。