第22章 落花流水 前
呆気なく男の手に渡った蘭の簪を見て、つい流れのままに頷きかけるも、すぐに声を上げて光秀の顔と簪を見比べた。先程まで真摯な面持ちを浮かべていた男は、微かに口角を上げてしゃらりと簪を軽く振り、片手でそっと凪を後ろの棚の方へと向かせた。
「ちょ、ちょっと…!?」
「すぐ戻る。良い子にしていろ」
戻ると言っても店内なので、まったく距離感などないのだが、そんな事を言いながら店主の方へ歩いて行った光秀は、そこでさっさと勘定を済ませてしまっているようである。
(もう、やられた…!!)
あの謝罪が嘘だとは思っていないが、まさか都合良く使われたのでは、と思わなくもない。勘定を済ませている横で駄々をこねるのはさすがにいただけないので、仕方なく眉尻を下げながら光秀に押しやられた方にある、櫛などが置かれている棚へ視線を落としていると、不意に高い女性の声が聞こえて来た。
「まあ、光秀様…!」
「?」
明らかな喜色を滲ませる声へつい振り返り、声の主を視界に入れる。そこ等の町娘達とは異なる上質な小袖をまとった女性が店の入り口付近から、少し奥に居る光秀の元へ小走りで近付いて行った。些か濃い目の化粧を施した、若干きつめな印象を与える女性は美人と呼んで遜色ない顔立ちをしており、あくまで凪の主観だが、凪よりも蠱惑的な身体付きをしている。その女性が、振り返った光秀の元まで近付いて腕をするりと絡めた。
(だ、誰!?)
思わず大きな黒々した眼が見開かれ、嫉妬より何より先に衝撃が走った凪が固まるのを他所に、女性はぐいと絡めた光秀の腕へ自らの胸を押し付けるようにして男を見上げる。
「最近我が家へはとんといらっしゃらないので、寂しく思っておりました」
「それは申し訳ない。何せ近頃は多忙なもので」
「お忙しくていらっしゃるのですね。ですがこのようなところでお会い出来るとは思っておりませんでした」
(なにあの雰囲気?というか…ちょっと近くない!?)
女性はぐいぐいと光秀への距離を縮めて行き、男の胸へと寄り添うかのような体勢だ。拗ねたような、あるいは甘えたような声を発する彼女は、長い睫毛を伏せながら色めいた溜息を零す。