第5章 摂津 壱
凪の脳裏に、先程告げられた光秀の言葉と、商売人の男の言葉が過ぎる。
───── 織田信長様の側近である明智光秀って男が、今の有崎城城主である池田様をそそのかし、謀反を企んでるらしいって噂ですよ…!
───── 何故そんな噂が立ち始めたのか、その噂により誰が得をするのか…それをよく見極めろ。
(謀反なんてそもそも光秀さんは企んでない。今回の件で自分が動き易いように、わざと嘘の噂を流したんだ。自分を悪者にしてでも、この国で起こっている事を確かめる為に)
凪には、根拠のない確信があった。
謀(はかりごと)など無縁な世界で生きてきた凪だったが、たった数日とはいえ、凪の中では自分が見て来た光秀の姿がすべてであり、何より。
───── 森の中と左二の腕に、左肩…だったか。…肝に銘じておくとしよう。
その言葉が、あの瞬間どれだけ凪の心をすくい上げてくれたのか、きっと光秀には分からないだろうけれど。
「光秀さん、私決めました」
注がれる真っ直ぐな眼は、曇りや翳りを一切含んでいなかった。
初めて会った時からこれまで、どこか所在なさげな惑いを浮かべていた凪の表情が、凛とした色を帯びる。
顰め面ではない、素の表情だろうそれは月明かりを浴びて美しく、どうしてか目が離せなかった。
「……ほう?随分意気込んだ顔をしてどうした。謀反人の噂が流れている俺から離れる算段を思い付きでもしたのか?」
普段のようにわざと揶揄するようなそれを投げ掛けた瞬間、凪は怒りも笑いもせず、少し強気な調子で、ただ真っ直ぐ言葉を伝える。
「────私、光秀さんを信用します」
「…ッ、」
たった一言、それだけを告げて彼女はそのまま光秀を見つめた。
軽く首を傾げた拍子にしゃらん、と微かな音を立てて紫陽花が咲く簪の飾りが揺れる。
見開いた光秀の金色の眸の奥が、小さくさざなみを立てた。
それだけで自身が、たかが小娘の言葉一つに微かな動揺を覚えている事を知る。
偽りでもなく、損得を考慮した打算でもないそれを己が受けたのは初めての事で、臆することの無い真っ直ぐな信頼が無性に心の奥底をくすぐった。