第22章 落花流水 前
もう周りの視線など本格的にどうでもよくなってしまった凪は、摂津の時の事を思い出す。あの時、何故自分は平然としてこの男の正面に座っていれたのだろう。
(今はこんなに緊張…っていうか、恥ずかしいのに)
自分の感情が変わると、色んなものが違う形に見えて来る。摂津の時は、まあ当然だよねと当たり障りなく受け入れられた女性達が光秀に向ける視線や関心も、何故隣を歩いているのが自分みたいな女なのか、という嫉妬混じりの疑念を孕んだ視線も。
それ等はすべて、凪自身の光秀に対する感情が大きく変わった故のものだ。
(まあ正直、私も何で光秀さんが好きになってくれたのか、あんまり分かってないから当然と言えば当然なんだけど…)
────俺は、そんなお前が堪らなく愛おしくて仕方ない。
自信のないネガティブな発言を全て覆してしまうかのような、先日の発言を思い出し、小さく鼓動を跳ねさせる。色々と気になる事はあるが、光秀自身がそう言ってくれるのならば、もう何だっていい気がして来た。しかしながらふと考える。湧き上がった疑問に長い睫毛を一度ぱちりと上下させた彼女は、未だ机の上で繋がれている手の親指を、とん、と光秀の手の甲へ触れさせた。
「そういえば、訊きたい事があるんですけど」
「なんだ」
「光秀さんは、いつからその…私の事好きだったんですか?」
自分が明確に光秀を好きだと自覚したのは、まさに先日の知恵熱の時だが、果たして光秀はどうだったのだろう。正直、そんな気配を微塵も感じる事が出来なかった凪の疑問を耳にし、光秀は一度双眸を瞬かせた後、くすりと微かな笑いを零す。
「教えて欲しいか」
「そういう事は素直に教えてください。教えてくれないなら、手離してください」
「おやおや、手厳しい連れ合いだ」
ほんのりと眸に意地の悪さが覗いた気がして、凪がすぐに先手を打った。先手と言っても別に手を離す事くらい、どうって事はないだろうが、彼は肩を緩く竦めると繋いだ指先へ微かに力を込める。
「─────…お前の名を初めて呼んだ、あの日だな」
「あ、あの時ですか………って、え!?」
「随分な驚きようだ」
「だってそんな前から……どうして?」