第22章 落花流水 前
「お前は何も気にする事はない」
「…う、でも」
「他に気を取られる必要もない。俺を見ていろ」
「そういう事、さらっと言います…!?」
次々と投げかけられる恥ずかしい言葉に凪の顔がつい顰められる。無論それが、羞恥によるものだと分かっているからこそ、光秀は口元へ綺麗な弧を描いた。
「そうして文句を言っている様も、愛らしいな」
「……っ、」
真っ直ぐに注がれる金色の眸が甘く眇められれば、凪はつい堪らず顔を伏せる。耳朶まで真っ赤に染め上げ、こみ上げる羞恥に唇をきゅっと引き結ぶ彼女はいじらしい。机の上の片手は相変わらず握られたままで、優しく絡んだ指が戯れに微かな力を込める。正面に座る男にどうしようもなく翻弄されてしまう凪は、次第に周りの視線など段々どうでもよくなって来て、文句を言いたげな様で顔を上げる。周りに居る女性客の針のような視線などより、正面から自分を逃さず捉えて来る光秀の方が余程質(たち)が悪い。
「………みたらし団子がいいです」
「平仮名で読めるからか」
「違います、今は多少他のも読めますから…!みたらしが純粋に好きなだけです」
「そうか」
ぽつりと零せば、光秀がひと月前の出来事を掘り返すかのように告げる。あの時は確かにかろうじて一部の平仮名が読める程度だったが、今は多少甘味処の品書き程度は読めようになった。むっとして否定しつつ言えば、光秀は喉奥で微かに笑って相槌を打つ。
(有崎城下で甘味処に入った時の事、覚えてるんだ)
光秀が女将を呼び付け、みたらし団子を一皿注文している様を見ながら、凪はぼんやりとそんな事を考えていた。もうすっかり忘れてしまっているかと思ったのに。何気なく光秀へ視線を向ければ、すぐに眸がぶつかり合う。それは即ち、彼が自分をずっと見ていたという事に他ならない。
「な、なんですか」
「いや」
驚いて双眸を瞬かせると、光秀は静かに微笑した。穏やかな眼差しが惜しむ事なく注がれる様は、正面でそれを受け止める形となる凪にはどうにも気恥ずかしい。まるで、こうしてただずっと眺めていても飽きない、とその双眼が物語っているかのようだ。