第5章 摂津 壱
「ああ、賢明な判断ですよ旦那様方。最近じゃこの有崎城下も妙な噂で持ち切りなんです。隣国の行列は百鬼夜行の類だとかで、出会ったらたちまち物の怪に喰われちまうって話ですよ」
「ほう、物の怪…それは恐ろしいですね、芙蓉(ふよう)。私達も気を付けなければならないね」
(再び誰…!?)
商売人の話に眉尻を下げて不安げな様を見せた光秀が、おもむろに凪とはまったく異なる名を呼んで、優しく腰の辺りを撫ぜた。真っ直ぐに注がれる金色の眼が、話を俺に合わせろ、と暗に語っている。
たじろぎながらも凪は光秀の視線の圧に気圧されつつ、そっと頷いて顔を羽織へ擦り寄せた。表情まで演技が出来る自信がなかった事もあり、半ばヤケクソである。
「そうですね、とても恐ろしいです」
硬い声が羽織に埋もれてくぐもった。その様に吐息で笑みを零した光秀は、腰に回していない方の腕で凪を引き寄せると、自身の胸へ抱き込む。
硬い胸板へ顔を寄せる体勢になり、男の漂う色香と薫物の香りが一層濃くなって、凪の身体が腕の中で強張りを見せた。
「…とんだ大根役者だ」
「…!!?」
揶揄の色が濃い低音が、抱き締める拍子に囁き落とされる。
耳元へ寄せた唇に緊張したのか、あるいは意地の悪い言葉に苛立ったのか。光秀の胸に抱かれながら顔をぐっと文句ありげに顰める凪を放置して、男は話を続けた。
「すみません、この娘は大層な怖がりでして」
「ああ、いえ!こちらこそお嬢さんを怖がらせてしまいまして、すみません。でも、お宿がお決まりなら早めに戻られた方が良いですよ。物の怪騒ぎは何も隣国に限った話じゃありません」
「…それはどういう事ですか?もしや摂津でも物の怪が?」
凪の様子に申し訳なさそうな表情を浮かべた商売人が、二人を案じた様子で声を低める。
男の話に、怪訝な様子で眉根を一瞬潜めた光秀はあくまで自然な流れで先を促した。
「ここひと月程前から、城下では有崎城の亡霊が出るって町の連中が口々に言ってまして…今じゃ宵が近付く頃には誰も表を歩きたがりません」
「有崎城の亡霊という事は、まさか三年前の戦が原因ですか?」