第22章 落花流水 前
ただ互いの唇の柔らかさを堪能するだけの口付けだが、往来の真ん中、思い切り人目がある場所で落とされたそれに、凪の耳朶や顔が真っ赤に染まった。
「!!?」
「…おや、何だかんだと回るらしい口が唐突に大人しくなったようだが、どうした」
透明で艷やかなグロスが移ってしまう事も構わず、一切躊躇いなしに落とされた口付けの後、真っ赤な顔のまま固まってしまった凪へ顔を近付け、光秀が囁く。可笑しそうな色を含む、明らかな揶揄としてやったりな意地の悪い笑み。少しずつ現実に戻って来た凪は、隣で口角を上げて笑う男に向かい、羞恥で顔を顰めた。
「ど、どうしたじゃないですよ…!!」
羞恥で潤んだ黒々した眸が光秀を睨むが、効果の程は期待出来ない。切羽詰まった、幾分上擦った声色は凪が本気で照れている証拠のようなものだ。照れ隠し故の怒りだと分かっているからこそ、噛み付く勢いの凪相手に、光秀は片手のみを降参だと言わんばかりに挙げてみせる。
「まあそう怒るな。怒った顔も愛らしいがな」
「もう光秀さんはちょっと黙ってくださいっ」
ある意味すっかり機嫌を損ねてしまった凪が憮然とした表情を浮かべる横で、光秀はくすりと密やかに笑う。そうしてふと繋いでいた片手を一度離し、凪が肩に羽織るショール代わりの長布を整える素振りでそれを引き上げ、髪をアップにしている事で露わになっていた白い項(うなじ)を隠すようにした男は、何食わぬ顔で再び指を絡ませる形で手を繋ぎ直した。
周りから向けられている町人────主に男達の不躾な視線から彼女の色めいた項を守り、涼し気な眼をぐるりと巡らせておく。
(悪い虫は早々に払うに限る)
この娘は自分のものだと周りに牽制しておけば、不快で不埒な視線が凪にまとわりつく事はないだろう。もっとも、彼女はそういった類の視線を男達から向けられているなど、気付いていないのだが。
惚れた欲目と言われればそれまでだが、今日の────否、別に今日に限った事でもないが、凪は愛らしい。摂津に潜入していた折、有崎城下でも同じような事があったが、それは安土でもどうやら変わらない。