第5章 摂津 壱
(衿を直された事もそうだけど、何でこんな光秀さんにくっついて歩かなきゃいけないの!?)
下手に声を出せない状況だというのはさすがの凪も分かっているようで、湧き上がる数々の疑問に内心で文句を言いつつ、彼女は光秀の胸に寄り添うようにして往来を歩いていた。
少し前の出来事を思い返してみても、隣で凪の腰へ腕を回したまま歩く光秀の真意などまったく分かる筈もない。
まるで新婚か付き合いたてのカップルのような、第三者からすれば目の痛い距離感で歩いているのは、宿の敷地を出る直前に光秀によってそう【指示】されたからだ。
「先程から静かだがどうした?初心な様子も可愛いが、こうして二人で歩いているというのに言葉がないのは少々味気無いな」
「光秀さんがわけわかんない事するからですよ…。なんですかこの距離感…近いです」
今回の任で凪に与えられた役目は、光秀の言う事を聞く事だ。つまり、彼がそうしろと伝えて来たら、凪は従ってこなしてみせるしかない。
憮然とした文句を零しつつ、どことなく楽しそうにも見える男をねめつけるように見上げれば、端正な横顔が凪を見下ろしていた。
「この距離なら声を潜めても聞こえるだろう。逆に他の奴らには聞き取られ難い。…それよりも、町の様子をよく覚えておく事だ。宿までの道順と目印になる場所も幾つか目星を付けておけ」
「…!わ、わかりました」
愛を囁くような距離感で低めた音が【指示】する。
これが任務中であり、この場所が既に油断のならない敵地だという事を察し、凪はやや表情を引き締め、頷いてみせた。
薄灰色の町へぐるりとさり気なく視線を巡らせ、宿からここに至るまでの道順や建物の特徴などを頭に叩き込む。その時、鼻腔をくすぐる違和感を覚えさせる例の臭いを感じ、不快感に思わず光秀の羽織へ顔を寄せた。
その錆びた臭いは、凪の心をどうしようもなく急き立てる。焦燥にも似た感情は、先日【見た】光景を脳裏へ蘇らせた。
「…何かあったか?」
「嫌な、臭いがします…」
「臭い?」
凪が羽織へ顔ごと身を寄せた事に異変を覚え、光秀が静かに問いかける。ぽつりと零したそれに眉根を一瞬怪訝に寄せた光秀は、腰に回した腕を移動させて彼女の髪を乱さぬよう、軽く触れた。