第21章 熱の在処
凪は何か不測の事態が起こったり、頼み事をしない限り光秀の文机上へ手を触れる事はない。この文を彼女が見つける可能性は少ない筈だ。問題は、いつ相手がこれを受け取りにやって来るか、という点だが、下手に張っていれば警戒して姿を現さない可能性もある。
(ひとまずは様子見といこう。敢えて御殿を留守にする必要はあるが、凪も体調が戻れば登城する筈だ。あまり一人でここに残す事は得策とは言えないだろう)
優先するのは凪の身の安全だ。中川清秀が絡んでいる可能性は今回に限っては低いだろうが、用心するに越した事はない。瞼を一度伏せた光秀は、唇の隙間から細い溜息を漏らす。そうして他の書簡や文へ軽く目を通しつつ、簡易的な仕分けをしていた彼は、文と文の間に挟まっていた一通の文へ目を留めた。
静かにそれを開けば、ふわりと白檀(びゃくだん)の香が薫る。静寂を思わせる落ち着いたそれは以前届いたものよりも香りが若干強い気がして、男の視線へ怪訝な色を混じらせた。達筆且つ繊細な筆使いは、いつぞや寄越されたものの筆跡とは異なる。別人が書いた事を暗に知らしめているそれの差出人は、当然記されていない。
「出先が同じであっても、したためた者が敢えて異なると伝えて来るとは、大層ご丁寧な事だな」
皮肉を込めて口角を上げ、内容を視線で追うべく紙面をなぞった。そうして、そこに記載されていた内容へ、光秀は金色の双眼を見開く。
(─────”織田陣内、尊き御眼の忍び事知る裏切り者、有り”)
ただ一文、それだけが記されている文の端を手にした光秀の指先に、そっと力が込められた。明確な名詞を出している訳ではないが、比喩されたものを察する事の出来ない光秀ではない。
尊き御眼とは即ち、天眼通(てんげんつう)を持つ凪の事だ。それを知る裏切り者が、織田の中に存在する。密告文か、あるいは罠か。力を込めた所為で端が若干くしゃりと歪んでしまったそれを折り畳み直し、真ん中から真っ二つに破り捨てた。
「……この俺に真っ向から挑んで来るとは、なかなか勇邁(ゆうまい)な気性の持ち主らしい」
破り割いたそれを光秀は丸めて火に焚べる。