第5章 摂津 壱
物言いたげな凪を前に、鮮やかな紅を唇に乗せ終えた光秀が先程していたように小筆を片付ける。艶紅の入った貝を閉じて片付けた後、荷の中に用意されていたつげ櫛と藤色の紫陽花の花が象られた簪を取り出した。
「髪を梳いてやろう。流したままの姿も悪くはないが、折角だからな」
「…光秀さん、今更ですけど女の人の扱い、慣れ過ぎじゃないですか?」
「なに、覚える必要があったからそれに応じて身に付けたまでの事だ」
(女の人の扱いを慣れなきゃいけない必要性って一体…?)
会話の中での妙な行き違いに気付いているのか、あるいは気付いていて放置しているのか。さらりと告げた男は慣れた手付きで櫛を使い、長めに伸ばされた凪の黒髪をまとめ上げる。
左右の横髪を長めに残し、項(うなじ)を覗かせる形で毛先を下方へ垂らしたまま、まとめた上部の髪を押さえるように簪を挿した。
あっという間に行われたヘアアレンジに思わず感心し、櫛を片付ける男へ振り返る。
「あの…ありがとうございました」
この時代にやって来て、初めて施されたお洒落に気分が上がらない筈がない。どことなく気恥ずかしそうにした凪から告げられた礼へ顔を向け、正面からの彼女の姿を改めて見つめた。
身にまとう打掛けや小袖は光秀が見立てたものであり、簪などはお千代が気を利かせて忍ばせたものだった。大きな猫目の眦と柔らかそうな唇を彩る紅は普段よりも彼女を大人びさせ、女性としての色気を感じさせる。
髪に咲いた紫陽花の花が漆黒の髪に映え、控えめだが上品な雰囲気をより鮮明にさせていた。
「…ああ、悪くないな。よく似合っているぞ。今まで袴姿をさせていた事が悔やまれる程だ。その姿でいられては、安易に小娘などとは呼べないな」
暫く凪へ視線を注いだのち、金色の眼を柔らかく眇めた光秀が穏やかな調子で音を零す。その言葉を揶揄だと言い切り、咄嗟に言い返す事が出来なかった凪は、虚をつかれた様子で唇を引き結び、膝の上に置いたままの指先にそっと力を込めた。
さすが女性に慣れている人は違いますね、などと羞恥から来る可愛げのない文句を発する気にはなれず、落ち着かない心地で口を開く。
「じゃあ小娘呼びは、めでたく卒業ですね」