第21章 熱の在処
拳を作った状態の白い手の甲へ、男が唇を寄せる。慈しみさえ感じさせるかのような口付けを落とされた刹那、凪の中で揺らぐ不安定な心の波が、半ば無意識に唇を震わせた。
「…や、やめて」
それは聞き逃してしまいそうな程にか細く頼りない声だった。ぽつりと落とされる小さな言葉は、初めて凪の口から耳にした明確な拒絶である。これだけ近い距離で、その音を拾えぬ筈がない光秀の動きが不意に止まった。長い睫毛を緩慢に持ち上げた男が怪訝に名を呼ぶ。
「……凪?」
白く華奢な手は、体内にこもっている熱の所為で普段よりも色付いていた。拳を握る手を持ち上げたまま、指の腹で皮膚の表面を優しく撫ぜた男の行動に反応して、凪が再び口を開く。
「何でそんな、優しくするんですか。根が優しいっていうのは知ってるけど、それにしたって優しすぎですよ」
「……何の話だ」
「誰にでもそんなに優しいのかなって思っただけです…」
訳の分からない衝動が襲って来て、凪は自分の中に溢れる甘さと痛みから逃れるかの如く、絞り出すように告げた。光秀が触れている片手を引き戻し、自らの胸の前へ寄せた彼女が突如吐き出した発言へ虚を衝かれたらしい男の目が微かに瞠られる。俯いている凪へ視線を注ぎ、しばし口を噤んだ光秀は、空っぽになった自身の手をそっと下ろした。凪は元々羞恥心の強い性格で、触れる度、からかう度に何かしら反論やら文句を並べたり、軽い抵抗をして来る事は多々あったが、こうしてあからさまな拒絶を示して来た事はない。
(……出先から戻った後、態度が妙だとは思ったが)
光忠に留守を任せ、戻って来て以来ほんのりと端々に感じる違和感に、光秀が気付かぬ訳がなかった。凪の感情を読み取るよう、彼女に視線を注いでいた光秀の金色の眼が静かに眇められる。間近で注がれる視線に居心地の悪さと、発言の突拍子のなさを恥じた凪が逃げるように顔を背けた。そうして、気まずくなった彼女は寄りかかっていた光秀から離れる為、そっと身じろぎする。