第21章 熱の在処
問いかけの答えが返って来ない事を不思議に思った凪の視線が男へ向けられた。先程まで穏やかな雰囲気だった彼の面持ちが、ほんの僅かに憮然としている事に気付き、内心で首を捻った凪が名を呼ぼうとした瞬間、襖の向こうで部屋主を呼ぶ声が届く。
声をかけて来たのはおそらく頃合いだろうと盆を下げにやって来た九兵衛であり、光秀によって入室を許された彼は食べ終えた盆と共に、家康から貰った薬包を持って一度下がった。部下が立ち去った後、光秀は凪が両手で持つ湯呑みをそっと取り上げ、邪魔にならない傍らへと置く。
「……光秀さん?」
「先程まではご機嫌斜めだった筈だが」
「え、それは」
「今度はやけに多弁だな」
空いた片手をおもむろに伸ばし、凪の耳朶へしなやかな指先を触れさせた。すり、と指先同士を擦り合わせるようにして柔らかな耳へ仄かな刺激を送った光秀の、低くしっとりとした声色が凪の鼓膜へ囁き込まれる。
短い音には揶揄の色は見えなかった。口元に笑みを浮かべずに居る男の姿を垣間見て、凪は疑問を抱く。先程まで柔らかかった雰囲気が、ほんの少し棘を帯びている気配を感じて眼を揺らした。
「別に、そういうんじゃ……っ、ん…」
ふと近くにある光秀の顔が凪へ近付き、こめかみの辺りに口付けられる。ちゅ、とわざと音を立てた触れるだけのそれに、ついひくりと反応した彼女の肩が小さく跳ねた。忙しない感情を持て余している凪の鼓動がとくとくと音を立てる。唇で触れられてしまえば、ぎゅっと心臓の辺りを握られたような感覚に陥り、切なさがこみ上げた。
(……なんで、こんな風に)
何処までも優しい触れ合いは、甘くて痛い。一度だけでなく、数度音を立てて同じ箇所を、まるで宥めるかの如く唇で触れて来る光秀に対して、こみ上げる感情は嬉しさと苦しさ、相反する二つの側面を鏡合わせのように持っている。どうして、何で、と音に出来ない言葉の代わりに、手のひらをぎゅっと握りしめれば、その行為に気付いた相手によって片手を持ち上げられた。
「あまり強く握るな。爪の痕が付くだろう」