第5章 摂津 壱
顔の良い男の特権である発言にぐうの音も出ない凪を他所に、好き勝手言う光秀へ無性に羞恥心が掻き立てられ、勢いのまま言い切った。勢いが過ぎて結局本心の一端を漏らした事に気付かない凪に肩を竦めてみせると、文机の前から移動した男は部屋にある化粧台まで歩み、いつの間に置いていたのか台前にある座布団へ近付いた後で腰を下ろした。
「おいで、化粧(けわい)をしてあげよう」
あまりに自然な調子で声をかけられ、凪は一瞬何を言われたのか理解が出来ず、無言のままで首を傾げる。正直、化粧(けわい)といった単語自体に馴染みがなかった所為でいまいち分からなかったのだ。
「どうした?そのままでは着物に着られているようなものだぞ。髪も結った方がいいだろうが、まずは化粧だ。こちらへ座れ」
「…着物に着られ…。分かりました、お願いします」
姿見などで確認したわけではないが、用意された小袖は控えめに言っても趣味がいいものだった。女性である凪とて当然そういったものにまったく興味がないわけではなく、折角着飾るならばメイクもしっかりしたい。
光秀の言っている事がいわゆるヘアメイクである事をようやく察した彼女は背に腹はかえられぬ、と今ばかりは素直に従った。
光秀と向き合う形で座布団へ腰を下ろし、傍らに用意されていた化粧の道具へ意識を向ける。
艶紅の入った二枚貝の入れ物と小筆は真新しく、自分の為に新調してくれた事が窺えた。
(…ていうか、光秀さんと改まって向き合うと緊張する)
整った顔の男が自らの前に正座している姿に加え、化粧をするのだから当たり前ではあるが、じっと逸らす事なく凪の顔へ注がれる視線はどうにも居心地が悪く、気恥ずかしい。
光秀の視線から逃れるようにして視線を下へ下げると、無言でいた男が不意に口を開いた。
「…お前は肌が白いから、無駄に粉を叩く必要はないな。眦(まなじり)と唇に紅差しで十分か」
「確かにこの時代の白粉って凄く白いですもんね」
「お前の居た世でも当然化粧はあったんだろう?白粉はどうしていた?」
昔の世の化粧といえば、どうにも舞妓をイメージしがちだ。
どう考えても自分があの白塗りをしている様は想像がつかず、白粉を使わないと決めたらしい光秀に安堵の息を漏らす。