第5章 摂津 壱
用意されていたのは辻が花染めの小袖と打掛けで、菖蒲色(あやめいろ)の小袖には裾と袖に控えめだが優美な花が描かれている。
卯の花色(うのはないろ)の打掛けにも控えめな蝶の柄が淡く散らされていて、安土城で用意してもらった小袖よりも大人っぽく上品な雰囲気があった。淡藤色の帯を再度結び直した凪は、姿見がない為、自身を見下ろしながら裾を直すと閉め切られた襖へ意識を向ける。
「着替え終わりました。開けても大丈夫ですか?」
「ああ」
襖の向こうから了承の声が聞こえると、それを静かに開けて手前の部屋へ足を踏み入れた。
光秀はとうに着替えを終えていたらしく、文机の前に腰を落ち着けており、手には確認途中であろう文がある。凪の姿を認めた光秀はおもむろに文を折り畳んでそれを自身の懐へし舞い込むと、布擦れの音を立てて立ち上がった。
その拍子、ここ数日で見慣れた白い着物と袴姿ではない光秀の姿を目の当たりにして凪が一瞬目を奪われる。
月白の着流しに黒の羽織を身に付けた姿は長身な事もあって、すらりとした立ち姿を惹き立てているようだった。
着流しだけに施された銀糸の刺繍は衿付近と裾に施され、シンプルだが気品が感じられる。白の印象が強い所為か、彼が黒をまとっているのは新鮮な心地がして、元の端正な面持ちを更に強調しているかのようだ。
(こんなの現代だったら即スカウト案件だよ)
美形和服男子とでも紹介されて各種雑誌の表紙と巻頭カラーを総ナメしそうな姿を前に凪がつい眼を瞠っていると、視線の意図を察したのか否か、男は緩やかに口元を笑ませて羽織の袖口に両腕を差し込むようにして腕を組み、ゆっくりと首を傾けた。
「どうした、小娘。俺に見惚れているのか?」
(真っ向から否定できないのが悔しい…!)
揶揄だと分かっていても違うとはっきり口に出来ないのは、まさに光秀の言う通りだからである。
「おや、反論がないところを見ると、本当に見惚れていたのか?てっきり噛み付かれるかと思ったんだが…素直なお前も可愛いな」
「気の所為です!見惚れてません、黒も結構似合うなと思っただけです」