第5章 摂津 壱
簡潔なようでいて、光秀の告げたそれはあまりにも抽象的だ。
具体的な策でも詳細でもないその言葉に、つい湯呑みへ口を近付けたまま物言いたげな視線と言葉を投げるも、彼はただ口元へ笑みを貼り付けるだけだった。
「…でも、なんかちょっとだけ安心しました」
底の読めない光秀が、果たしてどんな意図で告げたのかは分からない。それでも、何も言われないままよりはずっと良かった。
茶を飲み込めば暖かい液体がゆっくりと食道を通って行く感覚が温度で分かる。じんわりと身体へ溶けていく温度と、光秀の言葉はどこか似ていた。
ほんの少しの柔らかさが凪の声色へ混じった事に気付き、光秀はほのかに宿る罪悪感に似た感情に蓋をする。
湯呑みを両手で傾ける姿を、不意に笑みを消したまま視界に捉え、やがて瞼を閉ざした。
(元の世へいつ戻れるか分からないという事は、それまでこの乱世で生き延びなければならないという事だ。この任へ連れて来た当初の目的とはだいぶ異なるが、機を逃すのは惜しい)
湯呑みの中身をすべて飲み終えたらしい凪が、畳の上へ空になったそれを置く。
一息ついた彼女の不安と緊張が先程よりも取り除かれた様を前に、光秀が立ち上がった。
「さて、落ち着いたところで支度をするとしよう」
「え、支度って何のですか?」
文机の傍に置かれていた荷の前へ膝をつき、布で覆われていたそれを開きながら、投げ掛けられた疑問へ振り返る。
不思議そうに双眸を瞬かせている凪に見えるよう、取り出したものを両手で持って軽く上げてみせた。
「これから摂津で泳がせていた鼠と会談する。その支度だ」
「なるほど、鼠と会談…って、ええ!?」
添い寝に気付いた時と同等程に驚愕の様を見せた凪が予想だにしない展開に目を丸めた姿を認め、男は笑みを貼り付けたままで金の眼を眇めたのだった。
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光秀から着物一式を渡され、襖の向こうの奥部屋へ放り込まれた凪は渋々ながらも袴などを脱ぎ去り、新しく用意されていた肌襦袢へ袖を通した。
最低限の着付け知識があって良かったと安堵しつつも、現代のそれは着やすいように改良されている箇所も多く、本場の着物に四苦八苦してようやく着替えを終える。