第21章 熱の在処
上気した彼女の肌は、光忠が控える位置から見ても煽情的で、一瞬目を奪われてしまった彼は静かに注がれる主君の目線を感じ、すぐさま瞼を伏せる。
「どうした、光忠」
不服というより、羞恥による文句しかない凪の機嫌を取るよう、耳朶などを優しくくすぐりながら光秀が問いかけた。静かな金色の眸が注がれている事を感じ、軽く低頭した状態で告げる。
「……は、留守居引き継ぎの件で急ぎの書簡があり、お持ち致しました次第です。しかし、どうやら間が悪かったようですね」
「俺は別に構わない」
「…そこの女は、そうもいかないでしょう」
光忠は持参した書簡を正座する自身の前に置き、何食わぬ様子で告げた。伏せていた視線をそっと上げ、縁側で月明かりを受ける主君の背を見れば、男は光忠の方へ顔を向け、微かに口角を持ち上げている。いつも通りの不遜な笑みを目にし、これが自らへの明らかな牽制だと気付くと、光忠は溜息混じりに溢した。珍しく、貼り付けた笑みすら浮かべない従兄弟の様子に気付き、光秀は眼をそっと眇めたが、それ以上特に何かを問う事はない。
「文机の上へ置いておけ。明日にはお前の元へ届けさせる」
「…いえ、日が中天を差しました頃、こちらへ参ります」
「ああ」
光秀の返答を耳にし、光忠は静かに頭を下げた。主君を煩わせる訳にはいかないと考えた光忠が、自ら足を御殿へ向ける事を告げれば、男はただ相槌を返す。言われた通り、音もなく立ち上がった光忠が書簡を文机の上に置いた。元々山積みとなっているものを目にして、やはりいつでも多忙な方だと主君を案じた男は、再び襖の前へ戻ると礼の姿勢を取る。
「それでは私はこれにて。失礼致しました」
帰り際に二人を見れば、おそらく自分に口付けの最中(さなか)を見られた事を恥じているのだろう、凪が光秀の胸に顔を押し付けるようにしている姿が映り込んだ。そんな彼女の髪を撫で梳く男の顔は穏やかであり、注ぐ視線が柔らかである事を見て取れば、光忠は改めて主君の感情を思い知る。手放す気などないと、その横顔が告げていた。
不意に過ぎる、何とも言えない心地を押し込め、光忠は立ち上がり、主君の部屋を後にする。閉め切った襖の前で足を止めると、微かな吐息を漏らし、彼は静かな足取りのままその場を立ち去ったのだった。