第21章 熱の在処
あまり斜めにならないよう、背を出来るだけ起こした状態で両膝を揃えて立てたまま、銚子を差し出す。凪の背を片腕で支えつつ、反対の手で盃を手にした光秀のそれへ銚子を傾けた。器に淡く透けるような黄色がかった酒が注がれていき、それと同時に仄かに甘い梅の良い香りが漂った。
「あ、いい匂い…!」
「そうだな。これは梅か」
「梅酒って言ってました。もうこの時代からあったんですね」
光秀が満たされた盃を傾ける。一気に飲み干されたそれは確かに梅の香りを口内へ残した。味に頓着しない光秀であっても、微かな酸味が舌に残る事で、梅の風味を感じさせる。再度注がれた器を軽く傾け、傍らに一度盃を置いた。片手を伸ばし、手繰った空の盃を渡す代わりに、彼女の手から銚子をそっと取り上げる。
「お前の話を聞く限り、存外この乱世のものであっても、後の世に残っているものは多いようだな」
「勿論廃れちゃってるものとかもありますけど、よく考えればそうかもしれません。でも梅酒が薬酒扱いなのは、ちょっと驚きました」
凪の手にある盃へ光秀が銚子を傾けた。すっかり夜闇に満たされた縁側から空を見上げれば、中途半端に欠けた月がぼんやりと浮かんでいる。雲はどうやらないらしく、周りに散りばめられた星々が小さく輝く様を目にしてると、日中まで戦場に居たなど嘘のように感じられた。
縁側の傍に置かれた行灯の灯りがじり、と微かな音を立てて揺れれば、二人の影もそれに合わせて微かに揺れる。満たされた盃へ口をつければ、すっきりと飲み口の良い味と仄かで適度な酸味と甘味、そして爽やかで甘い梅の香りに凪の頬がつい綻んだ。
「美味しい…!この前の菊酒も美味しかったけど、どっちかっていうとこっちの方が好きだなあ」
「光忠に伝えてやるといい。あの男は見目に反して辛口より甘口を好む」
「え、意外…」
一気に呑んで酔いが回ってもいけないと考え、凪は極力少しずつ嘗めるように呑む。銚子を傍らに置いた光秀は、他愛ない言葉を交わしながら過ごす穏やかな刻にそっと眼を和らげ、口元へ小さな笑みを浮かべた。