第20章 響箭の軍配 参
ぽたり、と涼やかな音を立て心の奥で雫が落とされる。幾重にも広がっていた波紋は、初めて想いを自覚した時から延々と鎮まる事はない。その揺らぎが少しでも穏やかになればいいと、一方的に凪へ愛を注いでいた。だが、広がり続ける波紋はゆらゆらと揺らめき、凪へ愛を自分勝手に注げば注ぐ程に増して行く水かさが、胸の奥底から絶え間なく増え続け────もうとっくに、溢れてしまっていたのだろう。
(────…凪に、触れたい)
「大体、普段から好き勝手色々触ったり意地悪したりしてるくせに、急に謎の遠慮をされると、こっちが何か調子くる、う────…っ」
雰囲気を変えようとしたらしい凪が、些か怒った調子で腰に手をあてがいながら不服そうに文句を言う。その拍子、目の前で伸ばされた男の片手が凪の頬へやんわりと触れた。言葉を一瞬失い、尻すぼみになった語尾を見失った凪が目を見開くと、正面に居る光秀の口元が微かな笑みを刻む。
「俺も、そう考える事にしよう」
自分の手は確かに血塗れで、凪の真白な手とはまったく異なる生き方をして来たし、これからもきっとそうなのだろうが。凪が否定しないと言った己の手を、自ら退く事はすまい。短い相槌の意味を悟り、凪がやがて嬉しそうに笑った。笑みの形を刻むのに合わせ、触れた頬がそっと持ち上がる。彼女の自然な笑みを前に、光秀は心の奥底がじんわりとぬくもりに包まれて行くような感覚に陥り、確かめるかの如く親指の腹を頬の表面へ滑らせた。
「……それに、お前がそこまで俺に触れられたがっているとは知らなかった」
「……え?」
いつまでも凪のペースに乗せられているなど、光秀が許す訳がない。頬に触れていた時の穏やかな笑みではなく、何処か意味深な様子で口角を持ち上げた男の眼がそっと眇められた。突然声色の調子が変わった事に気付いた凪が、小さな疑問を溢した瞬間、光秀がいやに優しい調子で告げる。
「まともにご褒美のひとつもやれず、すまなかったな。今から存分に撫でてやるとしよう」
「え、いや、ちょっと…!?」