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❁✿✾ 落 花 流 水 ✾✿❁︎/イケメン戦国

第20章 響箭の軍配 参



彼女の手から傘の柄をそっと手に取り、しばし凪を見つめていた男は、残りを渡す条件を口にする前に、指先を伸ばした。雨に濡れて最初こそしっとりとしていた頬は、しばらく傘の下へ留めていた事もあってすっかり乾いている。黒髪はさすがに濡れたままであったが、水滴が滴る事もなくなった。
指の腹で、頬を撫ぜる。滑らかな感触は雨に打たれた所為でひんやりとしていたが、彼女に触れた自らの指先には微かな熱が灯ったかのような気がした。

(自分とは関わりのない命の為に、何故そんなに君は怒れるんだろう)

人はいつか忘却してしまう。最初は自責の念に囚われたとしても、必ず記憶は風化し、伴った感情も忘れて行く。いつかそれ等が失くなると分かっているのに、何故彼女はそうして誰かの為に必死になれるのだろうか。

「早く次の条件を言ってください」

硬い声色で紡がれたと同時、頬に触れていた指先を凪によって払われた。しばし悩んだ素振りを見せた男は、やがてそっと口元に微かな笑みを浮かべて、敢えてゆっくりとした調子で囁いた。

「────…君が欲しい。私に身を預け、抱かれてくれるなら、残りの半分をあげるよ」

ざあ、と雨の音が強まる。傘に打ち付けられる雫の音が激しく響いた。一瞬聞き間違いかと思った凪だが、目の前の男の眼差しに偽りはない。揶揄も、見えはしない。
言葉を失くし、ただ目を瞠って相手を見つめる事しか出来なかった凪は、無意識下で片手を持ち上げ、自らの着物の合わせをぎゅっと握った。嫌な音を立てて鼓動が跳ねる中、凪はこれまで、光秀により触れられて来た箇所を思い起こし、指先を震わせる。こんな時だというのに、脳裏を駆け巡るのはどれも光秀と交わした他愛ない会話や、軽口、からかい混じりの意地悪ばかりだった。

(なんで、こんな時に光秀さんの顔ばっかり思い浮かぶんだろう…)

ぽつりと心の奥底で溢した呟きは、静かな湖面に小さな波紋を残す。波打ち始めたそこを必死に落ち着け、波紋を無理矢理消し去った凪は、一度硬く閉ざした瞼を持ち上げた。指先に強く力を込め、震えを表に出さぬよう、毅然と顔を上げる。

「分かりました。でも忘れないでください。貴方のものにはなりません。渡すのは、心のない空っぽな器だけですから。それでも良ければ、ご勝手に!」

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