第20章 響箭の軍配 参
勢いを込めて言い放った凪を前にした男は、虚を衝かれた様子で息を呑んだ。見開いた灰色の眼が微かに揺れた様は、明らかな動揺である。よもや、凪が了承するなどと思わなかったのだろう。言葉を失った状態で沈黙が二人の間を支配し、やがて不可解だとでも言うように、清秀がほんの僅か眉根を寄せた。
「……何故、そこまで他人の為に出来るのかな。いかに自軍と言えど、半数以上は君と何の関わりも無い者達の筈だ。君が自らの身体を差し出してまで、助ける必要が何処にある?」
純粋な疑問だった。自分自身に近しい存在ならばまだ理解は出来る。だが、そこまで親しくもない、ともすればすれ違うだけの細い縁しか繋いでいない者も居るだろう。同じ軍に身を置いている。それだけの理由で、彼女がそんな事をする必要性があるとは、清秀には到底思えなかった。
しかし、凪が男に向ける視線の強さは変わらない。清秀が紡いだ疑問など、瑣末事だとでも言わんばかりに双眸を眇めた彼女が、淡々と発した。
「どうしていちいちそんな事訊かれなきゃいけないんですか。交換条件を突き付けて来たのはそっちでしょ」
この男には何を言っても伝わりはしない。そう考えた凪が疑問の答えを与えたとして、それで何が変わるのだろう。
確かに、好きでもない相手に身を捧げるのは不快だし、嫌に決まっている。しかし、秤にかけるものが命か操かならば、生娘でもあるまいし、命を取る選択肢しか凪の中には存在しない。
拒絶を孕んだ冷たく硬い声だった。怒りとは少し違う、しかし諦めではない彼女の感情を、清秀は推し量る事が出来なかった。自分以外の誰かの為に何かを精一杯する、誰かの為に己の身を砕く事を、男は生まれてこのかた、一度も経験した事がなかったからだ。自分自身は、そうして数多の命を砕いて来たにも関わらず、いつでも空っぽのまま。心の無い、空っぽな器なのは、男の方なのだと今はまだ気付け無い状態で、清秀はふと瞼を閉ざした。
「……そうだったね。私が君を欲しいと言ったんだ。それ以外の理由は、きっと無い」