第20章 響箭の軍配 参
本堂に繋がる廻り縁に佇んだその人は朱色の傘を差し、目元をそれで隠していた。突如姿を現した事に目を見開いた凪に構わず、ゆっくりと距離を縮めて来た相手は、彼女と数歩だけ離れた正面へ立ち、傘で隠れた目元の代わりに唇へ綺麗な弧を描く。
「─────…ようやく逢えたね、私の姫」
視界に映り込んだ光景が、以前【見た】景色と完全に繋がった。傘の表面に打ち付けられるしとしと降る雨音へもかき消されない程の艷やかな声が鼓膜を打つ。僅かに俯かせていた顔を持ち上げ、自らの顔を露わにした男────中川清秀は、凪の姿へそっと首を傾げた。
「こんなに濡れて、可哀想に。織田軍の兵達は健気な君に傘の一本も渡してくれないのかい?冷たいな」
雨に濡れた凪の姿を見つめ、一歩距離を近付けた清秀は困ったように眉尻を下げつつ、自身が差していた傘の中へ彼女を招き入れるかの如く柄を持つ手を手前へ動かす。二人のちょうど中心辺りに傘が移動し、凪の上に降っていた雫がぴたりと止んだ。その仕草に礼すら告げる気がないのか、凪は正面の男を見つめて目元の険を強める。
「毒を盛るような人に、冷たいなんて言われたくないです」
「怒っているのかい?やっぱり、笑顔の君を見たかったけど、難しいみたいだ。どうすれば、私だけの為に笑ってくれるのか、教えて欲しいな」
「今すぐ私に解毒薬を渡して、もう金輪際接触して来ないって誓ってくれたら、笑顔でさよならって手を振ってあげられますよ」
「それは出来ない。君には、まだ教えて欲しい事が沢山ある」
凪がこうして怒りを露わにしてくる事など想定済だろう。肩を竦めた男は端正な面に苦笑を乗せ、抑揚なく告げられた凪の発言を、表情とは相反する冷たさできっぱりと一蹴した。
「……教えて欲しい事?」
「そう。今日もその為に君を呼んだ。…結果は、上々かな」
男が発する言葉の意味が理解出来ず、凪は怪訝に顔を顰める。苦笑を消し去り、灰色の眼を真っ直ぐに目の前に居る彼女へ注いだ清秀は、先程とは打って変わって幾分機嫌良さそうに口元へそっと笑みを乗せた。