第20章 響箭の軍配 参
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天幕を出た後、光忠に示された一本道を走り出した凪は、顔や髪を濡らす雨に構う事なく先を目指す。
霧雨よりも粒の大きな雨は、昨日降り続いた雨よりも幾分勢いこそ弱く、それだけが救いであるような気がした。地に足を付く度に泥が跳ね、袴の裾を汚す。足袋はとっくにびしょ濡れであり、冬であれば容赦なく体温を奪われていただろう。散々動き回った甲斐があったからか、あるいはひと月という時間をこの乱世で過ごしたからか、滅多な事では草履の鼻緒が擦れて傷付く事もなくなった。
こうして一人息を切らして走っていると、摂津の森で逃げ回っていた時の事を思い出す。あの時は光秀の元まで逃げ切ろうと必死だったが、今度は一連の事件を起こした黒幕たる人物に、自分の意思で会いに行っていると思うと、何だか妙な気分になった。
(とにかく、早く解毒薬持って戻らないと…!あの人達が…!)
何気ない会話の中で、自分の心を暖かくしてくれた兵達の顔が浮かぶ。他の天幕の様子を見る間こそなかったが、あの場に残っていた者達は、自分を案じるように声がけを頻繁にしてくれていた医療兵や、荷運びを手伝ってくれた兵站部の兵、その他にも沢山の人達が残っていた。絶対に死なせたりはしない。決意を固め直した凪は、息が切れる事も構わず、清秀が文で指定した廃寺を目指し、足を動かし続けた。
やがて、森の木々を抜けた先で突如開けた空間に出る。
その瞬間、摂津の森で感じた時のように、この場所だ、という根拠のない確信が胸に押し寄せた。
そして、それを裏付けるかの如く、凪の前には寺が雨の中でひっそりとそびえ立っている。打ち捨てられてからあまり日が経っていないだろうそこは、先日光秀が視察へ訪れた時と変わらぬ様でそこにあった。
(ここが約束のお寺…でも、亡霊さんはどこに…!?)
寺の前に広がる開けた空間、その中間程へ足を進めた凪は焦燥した様子を隠しもせずに辺りを見回す。延々と走り続けていた所為で息が乱れ、数度自らを落ち着かせるかの如く吐息を零した。一度顔を俯かせ、深い呼吸を幾度か繰り返した後でそっと顔を上げた刹那、視界に一人の人物が映り込む。