第20章 響箭の軍配 参
半ば正面衝突となりかけた相手が小さく声を発し、後方へ倒れかけた彼女の身体を抱きとめる形で受け止める。顔を上げた先に居たのは家康であり、凪が驚いた様子で双眸を瞬かせると、彼は些か厳しい面持ちで口を開いた。
「あんたは天幕へ…─────」
「いや、それどころではないようですよ」
言いかけた家康の言葉を遮り、家康の背後からやって来た光忠は、抱きとめられる形で居た凪を認め、片眉を持ち上げると傍まで歩み、家康の拘束を解いて凪の手首を掴む。
落ち着き払った男の様子に眉間を顰め、険を孕んだ眼差しを向けた家康は、状況を探るよう視線を巡らせた。
「さっきの音は何だ」
「適当な天幕の中をご覧いただければ、ご理解頂けるでしょう」
「天幕の中…?」
怪訝な色を見せた凪の呟きに頷き、彼女の腕を引いたまま近場にある天幕の入り口をばさりと開く。そうして、視界に映り込んだ光景に家康と凪は息を呑んだ。
天幕の中に居たのは、先日凪の心を暖めてくれた兵達の姿である。彼らは横たわったままで激しく咳き込み、その口元から鮮血を滴らせていた。奥で彼らの様子を診ていた元僧侶の金瘡医が険しい面持ちで顔を上げる。
「家康様、光忠様…それから、凪様…」
「なんだこれは、何があった?」
焦燥を滲ませた様子で力なく名を呼ぶ金瘡医へ家康が詰め寄った。彼らは咳き込む度に血を吐き、ぐったりと藁敷きの上へ横たわっている。ふと、凪は雨の所為で幾分鈍っていた嗅覚に、何かの違和感を覚えた。そうして入り口付近にある水瓶の中へ軽く顔を近付けると同時、微量な香りの変化に気付いて振り返る。
「もしかして、水瓶に毒が…?」
「そのようです。儂は幸い口にする前でしたが…」
「…っ、光忠。お前は凪から離れるな。お前は俺と他の天幕の確認だ」
「御意に」
光忠の返事は聞くまでもないとばかりに家康は金瘡医へ声をかけ、急ぎ足のままで他の天幕へ向かって行った。呆然と立ち尽くした彼女の横へ近付き、光忠が手首を掴む。数多の血の匂いが漂う空間へ、凪を残しておく訳にもいくまいと判断しての事だった。
「…凪、一度お前は表へ」
「何で、こんな事……一体誰が…」