第20章 響箭の軍配 参
蹴りを付ける一戦という事で兵達も奮戦しているのか、時折戻る医療小隊が連れて来る負傷者の数も、そう多くはないという事実に安堵しつつ、凪は補給用の天幕内で溜息を漏らす。
そうしてふと思い起こしたのは出陣前に、偶然噂を耳にしたらしい八瀬から聞いた一言だった。
昨日の騒ぎは陣内でも不穏な気配と共に漂っており、現場に立ち会った兵士達が密かに噂をしていたのである。実際には光秀により、立ち会った者達へ箝口令(かんこうれい)が敷かれていたのだが、やはり人の口に戸は立てられない。密やかに広まった【不審な一言】がつい彼女の耳にも届いてしまったのであった。
「……錦木、かあ」
その名に、凪自身よく覚えがある。袂を探って取り出した一本の簪。玉飾りの表面に描かれた真紅の錦木を目にして、ぎゅっとそれを強く握り締めた。
以前の軍議で、清秀から凪宛ての手紙の内容を大まかに耳にしていた彼女が、万が一の為にと持って来ていた簪は、清秀から知らぬ間に贈られていたものである。
「……じゃあもしかして、あの時のお寺に居た人は」
凪は以前【見た】光景を思い起こし、ふと双眸を瞬かせた。正直、今回の戦とあの時の光景に関わりがあるとは思っていなかった彼女だったが、過ぎった可能性にどくりと鼓動を跳ねさせる。
もし、あの蛇の目傘を差していた人物が、中川清秀だったとしたら。そう考え至った瞬間、言い知れぬ緊張感に片手がびくりと震える。つい力強く握り締めてしまった簪を袂へ入れ直し、凪は身を翻した。
(そうだとすれば、雨が降ってる筈。でもあの時はもっと…)
念の為、天候を確認しようと天幕から顔を覗かせた瞬間、ぽたりと雫が降って来る。頬を伝って落ちたそれは、つい先程まで霧状のものだった筈で、雨粒を幾分大きくした雫は次第にその勢いを増して行った。
「嘘…」
信じられないとばかりに小さく溢した瞬間、近くの天幕内で何かが倒れる激しい物音が響き渡る。がしゃん、とけたたましい音が耳に届き、咄嗟に身を竦ませた凪が走り出すと、正面からどん、と誰かにぶつかった。
「わっ…!」
「危な…っ!」