第19章 響箭の軍配 弐
ころころと変わる彼女の顔を見つめ、改めて小さく吐息を溢した後、家康は袂から一枚の淡黄色の手拭いを広げては彼女の正面に立ち、腕を後頭部へ回した。
「気休め程度かもしれないけど、付けておけば。邪魔になったら外していいから」
「あ、」
手拭いを横に広げた状態にして、鼻から下の口元などを覆うように巻くと、後ろで端と端を結ぶ。目より下が覆われた事により、陣内の色濃い血の匂いが幾分遮られた。それと同時に、家康の御殿や家康本人から漂う菊花香が鼻腔を擽り、戦場の匂いを誤魔化してくれる。
「ありがとう…!これ、家康の香りだね」
「……あのさ、あんまそういう……まあ凪だし、仕方ないか」
菊花の香が焚きしめられた手拭いは柔らかな麻で出来ていて、見た目程息苦しくもなかった。双眸を幾度か瞬かせた後、少し馴染みになった香りへ嬉しそうに笑って礼を告げれば、家康の耳朶がかっと赤みを帯びる。半眼を向け、とてつもなく物申したいような表情になるも、やがて諦めたかのように深々と溜息を漏らした。
「これでまだまだ頑張れそう。それじゃ、薬の補充して来るね」
「……ああ、宜しく。後で俺も行く」
再び身を翻し、先程向かおうとしていた天幕へ足を数歩踏み出したところで、凪がもう一度振り返る。何か思い出した事でもあったかと目を瞬かせた家康に向かい、凪が告げた。
「さっきの話の補足。家康に教えて貰った事をちゃんと活かせてるぞって見せられる機会でしょ?だから、まだまだ弟子は頑張れます…!」
口元は家康が巻いてあげた手拭いで見えなかったが、彼女が笑っている事は見て取れる。言うだけ言って立ち去ってしまった後ろ姿を見やり、家康は片手で首巻きをぐっと持ち上げ、口元を隠すようにして顔を僅かに俯かせた。
凪の姿はもう天幕の中に入ってしまい、視界の中には入っていない。だというのに、瞼を閉ざせば容易に思い出せる姿や表情にわざと眉根を寄せて小さくぼやきを溢した。
「……やっぱり馬鹿だ。あんたが色んな事を出来るようになったなんて、傍で教えてた俺が一番知ってるのに」