第19章 響箭の軍配 弐
それからしばらく、後方の陣内は多忙の状態を保っていたが、一人の医療兵が息を切らした状態で戻って来た事で密やかな波紋が広がり始めた。
麓に集まった重傷者の運び手が少なく、援軍を頼みたいとの事で、一番身軽なその兵が陣へ戻って来たというのである。残っている医療兵達は金瘡医の補助や手当てなどに当たっている為、人員を割くのがなかなか難しい。報告を耳にした家康も様々な対応に追われている為、この場から動く事が出来ず、致し方なく手当ての済んだ軽傷者を伴って一部の医療兵を向かわせる事にした。そんな中、話を耳にした凪は包帯が入った籠を抱えながら話し合う輪の中へ割って入る。
「あの、私も行きます。重傷者の方を運ぶのは無理かもですけど、軽傷の手当てくらいは…」
「莫迦者、何を言っている」
凪の発言を厳しい眼差しで制したのは、彼女の護衛を任されている光忠だった。家康もすぐには頷きかねる状況であり、渋面を浮かべているのが見て取れる。真っ向から反対され、凪は光忠へ眉根を寄せて顔を向けた。
「でも、人が足りないなら協力し合わないと…!」
「お前に身を守る術(すべ)がひとつでもあれば違うだろうが、それすらまともに持たぬならば、ただの足手まといであろう。そんな事も分からぬか」
揶揄でもなく、小馬鹿にしている訳でもない。冷たく抑揚こそないが彼が紡ぐのは正論であり、鋭い切れ長の眼に射竦められた凪は、その有無を言わせぬ様子と笑みを消した端正な面差しが光秀の姿と被り、一瞬口を噤んだ。
口元を覆う手拭いの下でぐっと唇を噛み締めた凪は、視線を光忠から背けると足元を見やる。
不服そうな気配はそのままで、しかし押し黙った凪を見つめ、光忠は内心で吐息を漏らした。光秀の様子を察するに、凪に何かあれば主君にも少なからず影響を及ぼす可能性がある。切迫している状況下で動きたいと思える凪の心持ちは感心すら出来るが、そう容易なものではない。諦めてお前は引き続き処置でもしていろ、光忠が淡々と告げて話をまとめようとした瞬間、幾分低めた声色で凪が告げた。