第4章 宿にて
一度は引っ込めた手を再び伸ばし、衿を掴む手をやんわりと外してやると、凪が微かに身じろいだ。
畳へ片肘を着き、自身の腕へ頭を乗せた体勢でいた光秀の目の前で凪の頭が高枕からずれる。かくん、と彼女の頭が褥へ完全に落ちる前に、そっと自身の頭を支えていた腕を抜き去り、凪の頭がぶつからぬようその下へ腕を差し入れて腰を引き寄せた。
必然的に凪へ腕枕をするような体勢になった光秀は、自身の腕の中へ転がり込んで来た心地よい温度と、咄嗟に取った自身の行動に一瞬目を瞠る。
(…っ、)
例えばこれが気まぐれだったにしても、らしくはない。
ただ、一度腕の中に入れた温度は何故か離しがたく、穏やかな寝顔を前にすると、暫くはやって来ないと思っていた眠気さえ訪れさせてしまうような気がした。
(最低限の休息さえ取れれば良いと思っていたんだが…)
腕の中で、生きている証のように凪の細い肩が静かに上下する。傍に誰かを置いて眠るなど、考えてもみなかった。
口元をどことなく苦く綻ばせた男が腰を引き寄せた方の腕を持ち上げて、彼女の黒髪を梳く。
目覚めたら凪は何と言うだろうか。
またあの顰め面で文句を言われるのだろうと想像を巡らせたところで瞼を伏せた。
凪が主張していた座布団の境目は意味を為さない。
感情と温もりと、それ以外のものから隔たりを作るには、あの座布団はあまりに薄っぺらく頼りなさ過ぎた。
(今度はもっと褥を離されるか、衝立でも立てられるかもしれんな)
新たな境目を作るとするならば、今度はそれらを再び無遠慮に越えて行くのも面白そうだ。そんな事を思いながら内心で笑った光秀は、近頃の自身にしては珍しい程に早く静かな眠りの淵へと緩やかに落ちていった。