第4章 宿にて
愉しげな主にこれ以上問いを投げても、恐らく答えては貰えないだろう。そんな事を考えた九兵衛は、あまり休息を自ら進んで取ろうとしない光秀を案じ、話を切り上げるべく居住まいを出した。
部下の意図を読み取り、働き通しである九兵衛を労うべく口を開く。
「お前も今日はもう休め。明日からは気の抜けない敵地となる」
「はっ、光秀様も少しはお休みになられてくださいませ」
「…ああ、そうするとしよう」
頭を下げて黙礼した部下からの進言に、本気か否か分からない相槌が返ってきて九兵衛は内心で溜息を零す。
しかしそれについてあまりしつこく食い下がる事は今はせず、再度頭を深々と下げた後で入室した時と同様、やがて静かに部屋を辞した。
九兵衛が部屋を立ち去った後、それまで背を向ける形となっていた凪の方へ身体ごと振り返った。
いまだ、彼女は光秀が座す方へ身体を横に傾けた状態で寝入っている。
平常の声量ではなく、控えた調子で部下と言葉を交わしていた為、問題はないだろうと思っていたが、改めて凪の眠りを妨げていなかった事を確認し、安堵した。
「眠らずとも問題はないだろうが…また九兵衛に小言を言われては敵わないからな」
一度は目を瞑っても、二度目は必ず口を出してくる。自身を案じての部下の進言を無碍にし続けるのもいかがなものか、と苦笑を漏らした男が、視線を凪の手元へ留めた。
先程目にした寝姿よりも少し背を丸めた体勢でいた凪が、光秀が貸し与えた羽織の衿をそっと握りしめている。まるで猫のような姿がどこか安堵を求める迷い子のごとく無防備に見えて、気付けば片手を伸ばしていた。
「まるで幼子のような暖かさだ」
ひたりと触れた頬は暖かく、温度の低い光秀の掌へじんわりとした熱を伝えて来る。指の先までが暖められるような感覚が何故か心地よく、ひと撫でした後で片手を離し、そのまま凪の方を向いた状態で畳の上へ身を横たえた。
(褥まで戻るのも億劫だ。いっそこのままここで仔犬を愛でているか)
なにか縋るものを求めるよう、羽織の衿を掴む凪の手はもしかしたら途方もない世へやって来てしまった事への、無意識下で現れた不安かもしれない。