第18章 響箭の軍配 壱
「…珍しいな」
その台詞は凪が自分の方を向いたという事を指している。微かに眼を瞠り、緩やかな調子で短い感想を漏らした光秀を、凪がしばらくじっと見つめた。御殿で眠っている時よりも狭い褥は、二人の距離感を普段よりも物理的に近付けさせる。
視線を注いで来る凪の心理を探るかの如く、見つめ返した光秀を前にして、彼女は心の奥で浮かんだ素直な感情を偽りなく伝える為、やがて口元へ柔らかな笑みを浮かべた。
「私、頑張りますね」
怯えでも、妙な気負いでもない、自然な声色は光秀の耳の奥へ染み入るように溶けて行く。腹部に回した状態の男の腕には、震えのひとつすら伝わって来なかった。虚勢ではなく、心からの言葉だと悟った光秀の表情がふと、真摯なものへと変わる。
「やれるところまで頑張ります。だから、光秀さんも一緒に頑張りましょう。あ、でも怪我と無茶だけはしないよう、気を付けてくださいね」
「戦に赴く相手へ怪我をするなとは、お前も酷な事を言う」
「しないに越した事はないじゃないですか」
穏やかな声は普段と変わらない色を帯びている。他愛の無い日常の延長線上、その中で交わした何の変哲もない会話であるかの如く、彼女はただ笑って告げた。
吐息を漏らし、光秀が小さく口元を綻ばせる。怪我を負うつもりは端から無いが、あまりにも真っ直ぐ伝えられるものだから、つい皮肉が口をついて出る。けろりと言ってのけた凪が双眸を瞬かせる様を見つめていると、不意に彼女が屈託なく笑った。
「でも、もし何かがあったら、今度こそ私がちゃんと光秀さんを手当てします。怪我を隠そうとしたって、匂いで分かっちゃうから無駄ですよ」
摂津で凪を庇ってついた傷は、とうに癒えて傷跡すら残っていない。それでもずっと気にかけていたのだろう。彼女が突如として応急手当てを習いたいと告げて来た時、よもやと考えてはいたが、まさか本当にそれが動機になっていたとは。
そんな風に恥ずかしげもなく伝えられてしまうと、咄嗟に上手い言葉が出て来なくなる。男の口元に刻んだ小さな笑みが消え、代わりに憮然とした面持ちが浮かび上がった。返せないからかいを押しのけるようにして、素っ気なく短い相槌だけが男の唇から溢れる。
「……そうか」
「そうです」