第18章 響箭の軍配 壱
太陽がゆっくりと沈み始めた暮六つ時、遠くの空が薄い灰色に染まり始めた空は、少しずつ夜の気配を醸し出して居た。燦々と注いでいた日差しが和らぎ、山中独特の涼やかな風が吹き抜ける後方の陣では現在、夕餉の配給が行われている。交代で数名が不寝番(ねずばん)や周囲の警戒、見回りなどにあてられる為、夕餉を終えたら順次身体を休ませる事が基本となる戦時において、楽しみのひとつと言えるのがこの食事だ。
夜明けの開戦が予測される以上、朝餉は当然望めない。その為、明日の活力を付ける為にも前夜の夕餉は少しだけ豪華になる。
「まあそうぼやくな。大人気じゃねえか、光忠さんよ」
「冗談は顔だけにされよ、五郎殿。私が光秀様に似ているが故、大半は面白がって並んでいるだけであろう」
隣で同じく焼き味噌が入った竹筒へ湯を汲んでいる屈強な医療兵────五郎が豪快に笑いながら光忠を励ました。常人ならば射竦められてしまいそうな鋭い切れ長の眸を隣人へ流し、光忠は至極鬱陶しそうに列の面々を見やる。
そもそも光忠がこうして湯を汲む当番になったのは、家康の命令だった。
凪も配給やるんだから、あんたも手伝いなよ。そう淡々と命じた男へつい視線が鋭くなったのは致し方ない事だ。完全に職権乱用だが、生憎と乱世にそんな言葉は存在しない。上の立場に命じられたら、それに従うのが武士というものである。先日の宴の仕返しと言わんばかりのそれに歯噛みする中、事情などまったく知らない凪が、じゃあ一緒にやりましょうなどと言うものだから、本人の意見などまったく無視された形で現在に至る。
「宜しくお願い致します!いやあ、何だか光秀様に注いでいただいているみたいで恐れ多いですね!」
最前列にやって来た若い兵は、まったく悪気がなく笑って見せた。光秀の家臣ではないだろうその男を流し眼で確認した光忠は竹筒へ湯を入れつつ、無表情のままで口を開く。
「貴殿、名は」
「え、えっと太次郎といいます」
問われた兵は動揺を露わにするも、問われるがままに自らの名を名乗った。刹那、光忠の口元に冴え冴えとした笑みが刻まれ、そのままむんずと竹筒を差し出す。