第18章 響箭の軍配 壱
地図を片手に鋭い視線を眼下へ投げていた光秀は、傍へ傅いた九兵衛の報せに口角を持ち上げる。本戦における要は信長率いる本陣だ。配置の問題で伝令を通さずに本陣と連絡を取る事は難しいが、大まかな策については事前に信長へ伝えてある。
戦の手腕が確かな信長であれば、細かなすり合わせがなくとも、光秀のやり方を理解するだろう。
「山の天気は変わりやすいと申しますが、本日はよく晴れておりますね。暑気あたりする程の猛暑でない事が救いです」
「そうだな。……後方の陣の様子は」
「家康様が兵站部を連れてご到着された模様。既に陣の準備に取り掛かっている医療部隊と別働隊と共に準備に加わったと、先程伝令がやって参りました」
「予想よりやや遅かったな。やはり兵糧を積んでの山道は少々無理があったか。戻った時に家康の小言が飛んで来そうだ」
肩を竦めて見せる光秀の言い分に九兵衛は控えた調子で苦笑した。異例の陣取りに一番苦言を呈しそうな秀吉が、今回の戦に参加していなくて本当に良かったと、内心思う九兵衛を他所に、光秀は一度視線を手元の地図へ落とす。
紙面をなぞる金色の眼は実に涼やかであり、油断がない。主君が戦において油断をする場面などそもそも見た事はないが、今回はどうにも緊張感が異なる気がして、つい九兵衛はそっと声を低めつつ光秀へ問いかけた。
「僭越ながら…光秀様、何故急に策を途中でご変更されたのですか?」
「ん?」
「最初にご提案されていた策は素晴らしいものでした。しかし、それを急にご変更された。無論、本策も遜色ない素晴らしいものかと思いますが、どうにも気にかかります」
九兵衛は、最初に立てていた奇襲作戦を予め聞かされていた面々の一人だ。ちなみにもう一人は三成である。
当初の作戦は、光秀率いる鉄砲部隊による横からの奇襲作戦だった。しかし、それを急遽取り下げた光秀の行動に九兵衛は少なからず疑問を抱いたのである。まるで、奇襲作戦が失敗すると知っている前提での変更に息を呑んだのは、その場で話を聞いていた三成も同様だった。
九兵衛の疑問はもっともだが、それを明確に答える事は出来ない。紙面からおもむろに顔を上げた光秀は部下へ静かに視線を投げ、微笑する。
「案ずるな、九兵衛。毒将の裏をかくには正攻法では成立しないと気付いたまでだ」
「はあ…」