第18章 響箭の軍配 壱
「つれない事を仰らないでください。この戦中、私は光秀様より凪の護衛を仰せつかりました。火急の件でもない限り、この女の傍を極力離れない所存にございます」
「……ふうん。それならせいぜい役に立ちなよ。ほら、あっちの天幕張り、手伝って」
「…何故私がそのような事を」
「凪の護衛なら医療部隊の仕事も役目の内だ。…まさか、ただぼーっと突っ立って、その子に張り付いてる訳じゃないだろ」
最初に仕掛けた光忠の発言に、家康も負けじと言い返す。淡々とした口調同士の冷たい応酬に冷や汗をかき、凪は今すぐ自分が天幕張りに加わりたい気持ちになった。光秀に命じられるならばまだしも、家康にそう言われると無性に腹立たしい。しかしながら武将という立場上、光忠はそれに従わざるを得ないのだ。眉間をひくりと動かした彼は、今ばかりは仕方なし、とすぐに意識を切り替え、天幕張りを行っている面々の元へ足を踏み出した。
「ああ、そういえば」
その最中、足を一度留めて顔だけで振り返り、光忠は口元の弧を深めて家康の涼しげな横顔を見やる。翡翠の眼を男の方へ向けて先を促す家康に向かい、光忠は実に愉しそうな声色で朗々と告げた。
「親しげに名を呼び合う仲になれて、良かったですね家康公」
ひくり、と苛立たしげに家康の眉間が動くのを認め、光忠はくつりと喉奥で低い笑いを一つ溢し、今度こそ振り返る事なく天幕の方へ向かって行く。
(……あいつ)
高い位置で一つに結われた男の長い灰色がかった色素の薄い髪がゆらゆら揺れて遠ざかるのを忌々しげに見やり、家康は内心で小さく吐き捨てた。感情を乱されてはあの男の思う壺だと思い返し、瞼を伏せて小さく吐息を漏らした後、不意に瞼を持ち上げれば正面に凪の姿があり、彼女はじっと家康の表情を見つめていた。黒々した眸に見つめられ、一瞬小さく鼓動を跳ねさせた家康だったが、あまり動揺を表に出すと怪訝に思われてしまう為、あくまで平静を保った風で声をかける。
「なに」
「ううん、親しげにって言われて、そう見えてるんだったら嬉しいなあと思って」