第18章 響箭の軍配 壱
髪は両側の横髪を一房残し、他は高い位置で一つに結われていて、そこにいつもの真白な芙蓉の簪が挿されていた。
「家康!お疲れ様、今着いたの?」
家康を視界に捉え、双眸を瞬かせた凪がその名を呼べば、我に返った様子で彼は鷹揚な様を装いつつ頷く。
「…ああ、うん…道の所為で少し予定より遅くなった」
「馬とか荷車は通れる道幅だったけど、結構入り組んでたもんね」
「そうだね、あんなところを兵站部に進軍させるなんてあの人くらいだよ」
家康は医療部隊ではなく、兵站部を先導していた事もあり、凪と顔を合わせるのは実に軍議が行われた日以来である。医療部隊は光秀が率いる部隊と共に従軍していて、先に陣を敷く場所へ向かっていた関係で早朝の出発だったのだ。
凪の姿をじっと見やり、家康はつい風でひらひらと揺れる袴の結び目、紐が多く余った所為で大きな蝶々結びとなっている腰辺りのそれへ視線を向ける。
小袖とは異なり、袴を締める紐の関係できゅっと露わになった腰の細さへ意識が向かい、慌ててそこから視線を逸らした。
(……色気は無いとか言ったけど、どう考えても嘘だろ)
女性らしいくびれを思わせるそれに内心で嘆息を漏らしていると、凪の背後からあまり耳にしたくない声が鼓膜を揺らす。
「これはこれは家康公、実に先日振りの再会となりますね」
「………俺は出来れば一生会いたくなかったけど」
凪の華奢な身体の向こう、天幕の奥から姿を見せた光忠を認め、家康があからさまな様子を隠しもせずに面差しを顰めた。口元に意味深な笑みを浮かべ、菫色の眼を眇めた男は二人のやり取りを耳にしていながら、敢えてこのタイミングで声をかけて来たのである。というのも、それは光忠がからかい甲斐のあるネタを耳にしてしまったからに他ならない。
(うわ、またこの険悪なムード…)
凪は凪で二人が顔を合わせてしまった事による懸念に内心で苦笑した。先日光秀の御殿で開かれた縁側の酒宴から、否、おそらくその前に部屋で顔を合わせた時から二人の相性は最悪である。とはいえ今回は光忠は自分の護衛であり、共に後方に詰める形となっている為、嫌でも顔を合わせる事になるのだから、仕方ない。