第17章 月に叢雲、花に風
「では、此度の戦は他に誰をお連れに?」
秀吉の問いかけで武将達の雰囲気ががらりと変わった事を凪は肌で感じる。武将とは皆、武功を立てたいもの。立身出世の為には、戦で名を挙げるのが最大の近道となるのだ。凪自身にはあまり実感はないが、フランク本には武士の項目においてそのように記載されていた事を思い出す。
普段よりも殺気をみなぎらせる面々の姿の中、光秀だけが静かに信長の返答を待っていた。瞼を伏せ、背筋の伸びた姿は傍目から見ても静謐な雰囲気を醸し出している。
「光秀」
「はっ」
不意に、信長が光秀の名を呼んだ。その瞬間光秀が静かに瞼を持ち上げる。伏せられていた長い睫毛を瞬かせ、短く返事をした男の口元へ弧が描かれた。
端正な光秀の横顔を見た瞬間、凪はぞくりとした感覚が己の背筋を這い上がった気がして、そっと息を呑む。自らが選ばれると確信しての静寂の奥に、静かな熱を燃やす光秀の姿は言葉に表せない程に冷たく、しかし美しかった。
「家康」
「はい」
「以上で討って出る」
それまで軍議を静観していた家康が同じくそっと瞼を持ち上げる。今回は信長と光秀、家康という三人の将で戦が行われる事となり、その場が一度騒然とするも、それ等を一瞬で打ち消してしまう程、張りのある良く通る声が最後に響いた。
「凪」
「は、はい…!」
突如信長によって呼ばれた凪は、咄嗟に背筋を伸ばして返事をする。上座から真っ直ぐに向けられた緋色の眼に射抜かれ、そこから目が離せなくなった。自らを見返して来る黒々した眸をしばし見つめ、やがて口元へ笑みを浮かべた信長が悠然と告げる。その前方で静かに事の成り行きを見守っていた光秀は、彼女の名が呼ばれたと同時、そっと瞼を閉ざした。
「貴様も来い。縁起物として、この俺に見事勝利を運び込め」
「分かり、ました」
膝の上に置いた両の拳を無意識にぐっと握った。家康に、いつか戦に出るように言われたら、と指南の過程で幾度か言われていた事もあり、信長へ出陣を告げられた時にはあまり驚きはしなかったが、じわじわと現実味が迫って来て、つい面持ちが強張る。しかし、こういった時の為に短い期間ではあるが、学んで来たのだと思い返し、一度引き結んだ唇で音を紡いだ。