第17章 月に叢雲、花に風
「既に安土へ間者として入り込んだ時点で支子(くちなし)の君は、中川清秀殿に取り込まれておりました。即ち此度の戦には、かの御仁が一枚噛んでいると見て間違いないでしょう」
(え、亡霊さんが関わってるの!?)
末座で光秀の話を聞いていた凪は、男の口から耳にしたその名に驚いた様子で眼を瞠る。当然武将達も仄かな動揺を隠せない。実際、有崎城の戦いで清秀と相対した事のある秀吉は、厄介な相手が関わっていると思い、歯噛みした。
「あいつが小国側に…。どんな汚い手を使って来るか分かったもんじゃないな」
「あの方もまた、大変な策士です。清秀殿程の御方であれば、かの小国の立地を上手く活かした策を仕掛ける事も可能でしょう」
優れた戦術眼を持つ三成が真剣な面持ちで告げた。ただの小競り合いの戦から一気に攻略難易度が上がったそれに重々しい空気が立ち込める中、ぱちんと小気味良い音を立てて鉄扇が閉ざされた。手の中で弄んでいたそれを握り締めたまま、信長が好戦的な色を燻ぶらせた緋色の眼を眇める。
魔王と称される絶対的な威圧感を放つ男へ、一同が惹き寄せられるかの如く視線を奪われた中、彼は泰然自若として言い放った。
「良かろう。此度の戦、俺が直接討って出る。表へ出て来るとも限らんが、毒将と称されたその手腕、この目で改めるのも悪くない」
「信長様御自らがご出陣に?ならばこの秀吉にどうか先陣をお任せください。必ずや勝利を捧げてご覧にいれます」
信長自ら討って出ると言う姿を目にし、秀吉が先陣への名乗りを挙げた。しかしそれに大して信長は自らの右腕へ視線を向けた後、ぴしゃりと言い切る。
「ならん。秀吉、貴様はこの安土城の守りに徹しろ。近隣の謀反を企む大名共ならばともかく、清秀が油断ならない男だという事は、貴様もよく知っているだろう」
「…っ、…分かりました。この豊臣秀吉、必ずや御館様のお留守をお守り致します」
信長の発言はもっともだ。小国との戦の為、兵力を割いたこの安土城へ何らかの攻撃があるとも想定はされる。その時に軍の指揮が取れる者が留守を守らなければ、本拠地が手薄な状態になってしまう。苦渋を滲ませた様子で反論の言葉を飲み込んだ秀吉は、次いで窺うよう信長へ視線を向けた。