第4章 宿にて
それが今は穏やかな色を乗せている事に、つい光秀の口許が綻ぶように緩む。
(…こうして見ると、どうにもあどけないな。俺の前でいまだに顰め面なのは警戒の延長線か、ただ不器用なだけか。いずれにせよ、もうお前を疑ってはいないというのに)
目許にかかる凪の前髪を指先で優しく払ってやり、今は皺の刻まれていない眉間を撫でる。
そうしていながら、不意に眠る前に彼女から聞いた事を思い起こした。
(五百年後の、太平の世…か)
少なくともこの乱世のように争いが絶えない状態ではない、平和な世だと凪は言った。
正直、あまりの突拍子の無さに耳を疑ったが、間者の線が消えた彼女がそんな途方もない虚言を吐く必要はなく、加えて所有物の件もあり、光秀も凪の話を疑う事なく受け入れたのだ。
確かに凪はどこかこの乱世の世にはそぐわない性格をしている。その愚直さは光秀にはないもので、自身の主張を真っ直ぐに行える様は見ていて気分がいい。
きっと彼女が生きてきた世は、少なくともそれが許される世なのだろう。
「争いを知らず、自己の主張を真っ直ぐに行える世で育まれたお前に、この乱世はどのように映るのだろうな」
指先を離して流れるような所作で幼子にしてやるよう、凪の頭を数度撫でる。
指通りの良い艶やかな黒髪は、幾度か触れた時にも思ったものだが、この時代の庶民のそれとは触り心地がまるで違った。それだけで、彼女が恵まれた場所に居たかを表しているようだ。
この乱世は、呑み込まなれけばいけないものが多すぎる。
心の内に芽生えた小さな火種がどのような感情から来るものかを測りかねた光秀は、思考に蓋をするようそっと瞼を閉ざした。
「────…光秀様」
程なくして、閉め切られた障子の向こうから控えた声が男を呼ぶ。
耳に慣れた声に、瞼を持ち上げた光秀は触れていた凪の髪から手を離し、顔を入口へ向けた。
「ああ、入れ」
入室を許可すると、正座をした状態で入口へ控えた九兵衛が静かに頭を下げる。
さすがに入口で言葉を交わす訳にも行かず、優秀な部下は凪が寝入っている事を気遣ったのか躊躇う様を見せていたが、視線を光秀に送られてそっと足を踏み入れた。