第17章 月に叢雲、花に風
「では引き継ぎの為の書状をしたためて参ります。御用の折は城下の宿へ遣いをお出しくださいませ」
「お前にしては気が早い。急いて事を進める程、この娘が気に入ったか」
善は急げといった主義であるのか、宴の場を辞すると告げた光忠は光秀へ折り目正しい礼をした後で見送りを断り、部屋を後にしようとする。その背へ光秀が静かに声をかければ、彼は一度立ち止まった後で優雅に振り返った。行灯の灯りに照らされて淡く光る菫色の眼を眇め、何処か可笑しそうに笑いを零す。
「……まさか。色気のない女には興味ございませぬ」
(色気ないって言い過ぎじゃない…っ!?)
では、と挨拶もそこそこに部屋を立ち去った光忠を見送り、最後の一言に眉根を寄せていた凪を見ていた家康も、おもむろに瞼を伏せた。
「俺もそろそろお暇します」
「…そうか、遅くまで引き止める形になってすまないな」
「別に気にしてませんよ。それに、光秀さんにそう言われると、何か裏がありそうなので」
「心からの言葉だというのに、そう真っ向から疑われると本当に良からぬ事を企みたくなるな」
立ち上がった家康に対し、光秀が微かに笑みを口元へ刻む。光秀から紡がれたそれへ振り返った家康は、言葉の通り気にした風もなく言ってのけた。
「…あんたみたいな人の事を二枚舌って言うんですよ」
「褒め言葉として受け取っておこう」
喉奥でくつりと笑う、真意の読めない男の顔を呆れ半分で見つめながら告げた家康を追うよう、凪が慌てて立ち上がる。
「私、お見送りします…!」