第17章 月に叢雲、花に風
光忠を持ってしてもそこまでの言われようをしている、あの亡霊は一体何なんだと考えた凪の横で、家康がぽつりと呟く。口元へゆるりと弧を描く光忠が、わざとらしい所作で首を傾げる様から顔を逸らし、家康がしれっと告げた。
家康から視線を外した光忠はしばし無言になり、思案を巡らせるよう顔を僅かに俯かせ、瞼を伏せる。やがて緩慢に伏せていたそれを覗かせた後、居住まいを正して光秀へ向き直った。
「光秀様、しばし留守居の御役目を返上させていただきたく」
「………ほう?」
光忠が言わんとしている事を、むしろそう切り出して来る事を分かりきっていたかのような光秀はしかし、敢えて短い相槌を打つに留める。真意を探るような主君の眼差しに射抜かれても尚、一切怯む事のない光忠は、笑みを浮かべながらちらりと視線を凪へ向けた。
「代わりにどうか、この安土へ留まる事をお許しいただきたい。その女が抱える事情は厄介故、私もお傍で光秀様のお力になりたく存じます」
「え」
「は?」
すらすらと淀みなく言い切った男の主張へ、つい凪と家康の反応が重なる。何だか秘密を打ち明けた所為でとんでもない面倒な事になった予感を覚え、凪が咄嗟に隣の光秀へ顔を向けた。
「なんか、嵐が留まるって言ってるんですけど…!」
「何かあれば軒下へ来い。お前の為にあけておくとしよう」
「風は防げないって言ったじゃないですか…」
「そう嘆くな、風除けもあつらえておく。お前も、この軽いおつむを嵐に揺らされないよう、地に足を付ける術を備えておく事だな」
つまり極力注意はするが、自分でも切り返す術を身に付けろという事である。くつくつと喉奥で低く笑った光秀が瞼を伏せた。主の様子を見るに、恐らく反対意見はないようだと見て取った光忠はやがて静かに立ち上がった。