第17章 月に叢雲、花に風
「凪」
抱きしめているからこそ分かる彼女の変化へ微かに眉根を寄せ、些か真摯な面差しを浮かべた光秀が、小さくその名を呼んだと同時、胸へ顔を預けていた凪が弾かれた様子で顔を上げる。
「光秀さん…もしかして近い内に、戦があるんですか?」
恐恐と告げた凪の、迷いがない確信的な言葉を耳にした光秀が金色の眼を見開いた。無論、驚いたのは光秀だけではない。勘の良い武将達は密かに気付いていたが、まだ正式な軍議の場が開かれていない為、それ程多くが知る情報ではないものの、確かに近々戦が起こる。光忠に至っては密かに光秀からその話を耳にし、こうして至った経緯があった。
間者を警戒しての機密事項を、何故凪が知っているのか、疑問に思うのは当然の事だ。
(……まさか此度の戦について何か【見た】か)
凪の怯えようは、摂津へ向かう途中の川原で目にした姿に些か似ている。何か人の生死に関わるものでも見たのだろうか。怯える凪へすぐに吐き出させてやりたい気持ちは当然あれど、光秀は咄嗟に躊躇いを見せた。
「凪、落ち着け」
「────…何故、この状況でそのような事を訊ねた」
「……っ、」
光秀が二の句を紡ぐ前に、光忠が鋭く切り込む。目の前に見えていた恐ろしい光景に気を取られ、光秀へ早く伝えなければと心が急いていた所為で周囲への注意を怠った凪が我に返り、黒へすっかり姿を戻した眼を見開いた。
光秀の腕の中で光忠の方へ顔を向けた凪は、自らを油断無く射抜く視線を真っ向から受けると面持ちを強張らせる。
「少し黙れ。落ち着く前から責め立てたところで、意味ないだろ」
静かに事を見守っていた家康が、強張る凪から光忠の視線を逸らさせるよう、ぴしゃりと言い切った。家康の言う事も一理あると考えた光忠が口を噤む中、光秀は真っ直ぐに家康を見つめ、やがて瞼を伏せた後で凪へ意識を戻す。
「お前が光忠をどう思っているかはおおよそ分かっているが、俺もこの男を良く知っている。家康についても同じだ」
「…はい」