第17章 月に叢雲、花に風
仄かに震える唇と共に眸を見やれば、凪の眸はゆっくりと漆黒から深い青色へその光彩を変えて行く。それを目の当たりにして双眸を僅かに眇めた後、男はそっと凪の後頭部へ手を回し、自身の胸へ抱き寄せた。
「どうした、またいつもの目眩か」
「…は、い」
秀吉の前で起こった時と同様、目眩持ちの設定を利用する算段の光秀に合わせ、凪も小さく頷いてみせる。柔らかい声色で宥めるよう、引き寄せた後頭部にあてた手で髪を撫でた。
「……目眩?」
事情を知らない家康の怪訝な声が響く中、光秀は凪の背に回した腕へ力を込め、彼女の顔を────否、正確には青く変わった目を隠そうとする。
その間、ただ目の前の主君と凪の姿を静観していた光忠は、僅かな間で目にしたものへ疑念を過ぎらせた。
(光秀様に引き寄せられるほんの一瞬、凪の目が青く変わっていたような気がしたが…)
さすがの光忠とて、それが容易に踏み入ってはならない問題だと分かる。ひとまず様子を窺うべく、油断のない切れ長の眼をじっと凪へ注いだ。
それぞれの思惑を他所に、一方光秀の腕の中へ大人しく収まっている凪は、どくどくと響く鼓動と共に両目の奥がじんわり熱くなって行くのを感じ、目の前に広がる白の着物からゆっくり映像が切り替わって行くいつもの感覚に身を委ねる。
────雨が降っていた。勢いの強い雨は地面へ叩き付けられるように注ぎ、泥を跳ねさせる。そんな中、木々の合間や背の高い草むらへ身を隠した複数の兵達の姿が見えた。彼らの顔には見覚えがある。先日医療部隊として参加した訓練の中に居た、銃を扱う者達の姿だ。【奇襲は失敗だ】険しい面持ちで兵の一人が唇をそう動かし、濡れた火縄銃へ視線を落とす。その刹那、正面から突如として、矢の雨が降って来た…────
視界が【見た】光景から光秀の白い着物へとゆっくり切り替わったと同時、凪は腕の中で小さく身体を震わせた。
目前へ迫った矢に実際射抜かれた訳でもないというのに、あまりにもリアルな光景に身体が強張り、恐怖に竦む。