第17章 月に叢雲、花に風
それが自分ではなく、他の男へ向けられている様を見るのは些か複雑な心地だった。湧き上がる感情をそっと抑え、光秀は隣に居る、少し距離が空いてしまった凪を引き寄せるよう腰に腕を回し、手元を覗き込む。
「随分とまめな事だな、家康。お前がここまで凪を気にかけているとは思わなかった」
「……別にそういう訳じゃありません。いつまでも俺に訊いてばかりじゃ仕事にならないと思って作ったまでです」
「それにしてはなかなか細やかに書かれている。素っ気ない素振りの割に、お前も存外弟子を可愛がる性質だったか」
「あんたも相当過保護ですよ」
(え、急になにこの雰囲気!?)
手元から顔を上げた光秀が微かに口角を持ち上げ、揶揄めいた言葉を投げかけると、家康の眉間に皺が寄った。薬学を教える指南役の立場である家康からしたら、凪は確かにその弟子に当たるだろう。ただ、弟子だから、という理由だけでそうした訳ではない。何となく、彼女の為になると思い、手掛けただけの事だ。自らを突き動かす理由をそれだけの事、と内心で片付けた家康が、自分よりも遥かに過保護な男を睨(ね)め付ける。
自らを挟んで行われる二人の会話を凪は戸惑いながら見ていた。そもそも家康と光忠ではあるまいし、光秀とは別にそんな仲が悪い印象はなかった気がする。何となく居心地が悪くなり、視線を泳がせた凪と、それまで彼女をじっと見つめていた光忠の視線がばちりとぶつかり合う。
「……!」
刹那、光忠が微かに双眸を瞠った。凪と視線がぶつかった事を驚いているのか、はたまた別の理由か。すぐに瞼をゆったり伏せる形で逸らされた視線の意味を問う事も出来ず、凪は気を紛らわせるよう、盃に残った薬酒でも飲もうと、傍らへ一度本をそっと置いた、その瞬間────。
(あ…!)
胸の奥から突き上げるような鼓動が一つ、大きく跳ねた。
微かに見開いた眼をそのままに、咄嗟に助けを求めるかの如く凪が光秀の方を振り向き、頼りない小さな声でその名を呼ぶ。
「光秀、さん…っ」