第17章 月に叢雲、花に風
隣で凪がぽつりと発言の一部を反芻する様へ視線を向け、何とも言えない表情を浮かべた。
黒々とした双眸を大きく見開き、幾度か瞬いた後で視線を光忠へ向け、驚きというより、些か信じがたいとでも言いたげな表情を浮かべる凪を観察し、光忠はわざとらしく盃をゆっくりと傾ける。
「ああ、お前など足元にも及ばぬ程色気に満ちた女だった。…何を驚いている。一夜の宿を借りたとなれば、気を利かせた主人が女を呼ぶのはよくある事だ」
「……そう、なんですね。っていうか別に私、自分でそんな色気あるとか、思ってないですし…」
すらすらと告げられたそれは、凪にとって少なからず衝撃だった。自分で幾度か光秀は女性の扱いに慣れている、経験人数はきっと自分より遥かに多い、と言っていたが、実際にそういったものを目の当たりにした事は一度もなかったのだ。
分かっていたし、そうなのだろうと勝手に想像していた、それなのに、ほんの少しだけ胸の奥底が鈍く痛んだような気がしてつい苦笑が漏れる。
胸の奥底にある不可解な感情を押し流すが如く、ぐいっと一気に手元の薬酒を飲み干した凪は、気分と雰囲気を切り替えるように敢えて憮然とした表情を見せた。
色気などあると思っていない、そう言い切った彼女の面持ちはそれでもほんの少しだけ、苦いものを飲み込んだような色を過ぎらせている。
むっとして眉根を寄せた凪の、やや伏目がちな長い睫毛がふるりと揺れる様を認め、光秀は眼を眇めた。
その視線は咎めの色を帯びている。ただ怜悧な視線を送る主君に対し、否定も肯定も紡ごうとしない様へ肩を竦め、光忠はすい、と視線を凪へ戻した。
「まあ、普通男の人なんてそういうものですよね」
不意に凪が努めて明るい声を出し、それでも何故か光秀から席を一歩遠ざかる。あまりにも自然に遠ざかった所為で見逃してしまいそうになったが、先程浮かべた苦い表情ではなく、今度は些か半眼になってちらりと光秀を横目で流し、彼女はそのまま手酌で自らの盃を満たした。
「おやおや、ご機嫌斜めか」
「ご機嫌斜めなんかじゃありません。それが一般的だよねって納得しただけです」