第17章 月に叢雲、花に風
光秀と似た面立ちを持った光忠は、実は現代で言うところの根っからの健康オタクである。身体に良いものの取り入れや食物の研究に余念がなく、光忠が主催する酒宴は基本的に薬酒しか出て来ない。蝮酒(まむしざけ)を飲まされた時には、さすがにその衝撃的な漬け込みの姿へ九兵衛ですら目をひん剥いた。
そういった経緯もあり、光秀としては光忠と会う度に豆を食べさせられている為、些かげんなりしているのも事実である。そんな雰囲気を漂わせつつ、凪の唇へつん、と豆を触れさせれば、彼女はむっと眉根を寄せて軽く身を引いた。
「減らすのを手伝ってくれ。放っておくと容赦なく口に突っ込まれる」
「私は自分の分がありますから…っ、ん……」
ゆるりと口元に笑みを浮かべ、幾分愉しそうな声色のまま光秀が告げる。
減らす事が目的か、あるいはこうして豆を手ずから食べさせる事が目的か。どちらとも取れそうなその様子に眉根を寄せ、遠慮しようとした凪の口内へ、すかさず一粒の豆が放り込まれた。
「美味いか」
「……美味しい、ですけど」
「ではもう一粒やろう、ほら口を開けろ」
「自分でちゃんと食べてくだ…っ…、んー…!」
黒豆は甘く煮られていて、正直とても美味しい。甘さがすっきりして後味のしつこさがない豆を仕方なく咀嚼した凪を前に、光秀が問いかける。飲み込んだ彼女が物言いたげな様子で呟くと、再び箸で豆をつまみ上げ、凪の口元へと有無を言わさず運んだ。
自分の膳のものを自分で食べると主張したい彼女が身を引いて席へ戻ろうとするも、その隙すら与えられず、再び豆が口内へ入れられる。実に悔しそうな様子で眉間を顰めれば、光秀はくすくすと喉奥で微かな笑いを溢した。
「ちょっとそこの二人、なに黒豆で睦み合ってるんですか」
「睦み…!?そんな事してませんよっ」
「俺は雛鳥に餌を与えている気分だが、睦み合っているように見えたなら、それも悪くはない」
「普通に否定してください…っ」
凪が光秀により、強制餌付けをされている様を視界の端に認め、思わず呆れを過分に含んだ半眼を向けた家康が冷たく言い放つ。人前でいわゆる【あーん】を二回もされた事実はさすがに凪の中の羞恥を煽り、慌てて家康へ顔を向けつつ否定した。