第17章 月に叢雲、花に風
凪にはよく分からなかったが、外側の剥げた漆の部分には確かに何かが描かれていたような跡が残っている。家紋は戦時の旗印にも使われる為、武将達はそういったものを見分ける知識があるのだろう。納得した様子で相槌を打っていると、不意に隣席から声がかけられた。
「凪、お前にも注いでやろう」
「あ、ありがとうございます」
手にしていた銚子を一度傍らへ置き、凪は膳の盃を取って光秀へ差し出す。手にしていた銚子が傾けられてゆっくり器を満たした後、礼を言って盃を傾けようとした凪へ静かに視線を注いだ光秀は傍へ銚子を置いた。
「どうしました?」
「……いや、呑み過ぎるなよ」
金色の眼が真っ直ぐに注がれている事へ不思議そうに首を傾げた凪を前に、光秀は笑みを浮かべないまま真顔で告げる。
「え、家康さんにも言われましたけど、私そんな呑んだ姿見せてないと思うんですけど…」
「…………」
「何で無言!?」
何故か家康にも念押しのように言われたばかりの凪としては先日の一件は酔った内に入っていない為、怪訝な様でむっと眉根を寄せる。記憶を飛ばしているのだから、まあその自覚はないだろう、と至極もっともな感想を抱いた光秀が複雑な心地で無言になれば、さすがに疑問に思ったらしい凪がつい突っ込んだ。
「あれだけ俺を翻弄しておきながら自覚がないとは、全く恐れ入る」
「え!?」
「…あんた、あの後一体何したわけ」
「なるほど…姫君は酒乱と。では浴びる程呑ませるも一興」
瞼を伏せ、やれやれと言わんばかりの表情を浮かべた光秀に対し、凪がぎょっとして目を白黒させる。確かに再宴の際には帰り道の記憶がさっぱりないが、光秀は何も無かったと言っていた。だから、何もない筈…そこまで考えて焦燥した凪へ、家康の呆れを含んだ眼差しと光忠の明らかな揶揄が向けられ、凪はそれぞれへ視線を向けながら面持ちを困窮させる。
「ち、違いますよ…!そんな変な事はしてません!……よね?」
「お前がそう思うなら、その通りなんだろう」
「答えになってませんよ光秀さん…っ」