第17章 月に叢雲、花に風
凪の苛立ちが紛れた視線を受けつつ、いちいち反応を返して来る彼女へくすりと笑いを溢した光忠は、その背後に居る主君へ改めて視線を向け、緩く首を傾げたままで抑揚なく告げる。
「そもそも、人の機嫌などそう計り知れないもの。ならば特に窺う必要もないとの判断へ切り替えました。連絡も無く本日こうしてやって来たのは…軽い余興のようなものです。ご安心ください、土産は持参しております故」
「遠慮と配慮って言葉を知らないみたいだね」
「これはさすが家康公、なかなか手厳しい事です」
つまりいちいち窺い何か立てていられないから、勝手に来て勝手にお邪魔してます、という意味だ。自分の家臣では到底想像出来ないその振る舞いに、家康が冷えた目線を光忠へ注ぐが、男はただ笑って嫌味を流すだけだった。
その時、静かにやって来た九兵衛が開けられた襖の向こうで低頭の姿勢のまま光秀へ声をかける。夕餉と軽い酒盛りの為、膳を運び込みたい旨を伝えれば、光秀は静かに頷いた。
勝手にやって来たとはいえ、一応光忠は光秀の家臣達の中でも重臣に位置する男である。本人いわく宿は別に取っており、付き添いの者達はそちらに留まっているらしいが、そのまま帰れと追い返す訳にもいかない。そういった経緯もあり、今宵はささやかながら光秀の自室で宴を催す運びとなったのだ。
光秀と九兵衛のやり取りを見ていた家康は、さっさと凪への用事を済ませ、立ち去ってしまおうと口を開く。
「それじゃ、俺はこれをその子に渡しに来ただけなので、失礼します」
包みへ視線を一度落とし、光秀へ告げた後で凪へ手にしているものを渡そうとするも、家康の行動は光忠の低くしっとりした声色により意図的に遮られた。
「家康公もせっかくですし、ご同席されては?」
「は?」
そんな事を光忠本人から言われるとは思わず、家康は眉根を寄せる。二人のやり取りと今後の展開を脳裏へ過ぎらせた凪は、光秀はさておき、光忠を含めた三人での宴を乗り切れる自信がない事も手伝って若干縋るような色を含めた眼差しを家康へ向けた。
「い、家康さん…!一緒にどうでしょう!?」
「あんたまで急に何なの…」
まさか凪にまで引き止められるとは思わず、光忠から凪へ意識を戻した家康は、じっと自身に注がれる大きな眼を前に、ぐっと言葉を呑み込む。