第17章 月に叢雲、花に風
「ええと…光秀さんなら今はお出かけしています。もう少しで帰って来るとは思うんですけど」
「そのようですね。先程、私を見た九兵衛殿がいたく血相を変えて走って行かれたのを見ましたので」
「そ、そうなんですね…」
光秀の従兄弟だというからには、彼に何らかの用事があったのだろう。部屋主が現在留守である事を告げると、光忠はさして動じた素振りもなく、喉の奥でくつりと低く笑いを溢した。その表情や肩を竦める仕草が光秀と何処となく雰囲気が似ていて、従兄弟とはここまで似るものなのかと半ば感心しつつ相槌を打てば、ふと男はそれまで浮かべていた笑みを消し去り、縁側の板間に正座したままの凪へ近付く。
畳を踏み締める微かな音が響き、夕暮れの薄灰色が男の面へ影を落とした。時折吹き付ける風は光忠の灰色がかった長い髪を揺らし、それが光秀とは異なる色気を醸し出す。
やがて目の前へやって来た光忠は呆然としている凪の前へ片膝をついて身を屈め、白く長い指先で彼女の華奢な顎をくい、とすくい上げた。
「っ、あの…!?」
「私のような一家臣如きにこのような無礼を許すとは…お前、本当にあの信長公の親類か?」
「……!!?」
突如顎をすくわれた事により、怪訝な面持ちを浮かべた凪が短い言葉を発するも、それを遮るかの如く低めた艶のある声色と共に光忠が鋭い眼差しを向けて来る。疑念が込められたそれは、光秀が何かを追及して来る時の逃げ場のない空気と近しいものがあった。光忠は端から凪の言葉を信じていなかったのか、あるいは今確信に至ったのか、どちらにせよ先程まで見せていた幾分穏やかな姿から一変、冷たく追い詰めるような音で凪を見定めている。
微かに瞠った黒々とした眼をしばし見つめ、やがて菫の眸で彼女の顔から膝までをじっと見下ろし、笑みを浮かべぬままで淡々と言い切った。
「光秀様が実に珍しく女をお傍に召していると聞き、どのような者かと興味を持って来てみれば…随分と色気のない女だ」
「…………は?」
ひくり、凪のこめかみが小さく動く。実につまらなさそうな様子の光忠は凪の反応など気にも留めていないらしく、そのままじっと視線を彼女の顔へ注いだ。